奈良林祥先生のセックス講義
セックスとオーガズム
愛あるセックスのための正しい知識を学ぼう
性とはなにか―性の基礎知識
1.性へのめざめ
性ホルモンと「性のめざめ」について
幼い子ども達が無邪気で屈託なく、男の子や女の子の区別なく遊び友達になれるのは、「性ホルモンの同一性」が原因である。幼い子ども達のからだの中に流れる男女両性ホルモンの分量は男の子も女の子もほぼ同じ。男の子だから男性ホルモンが特に多いとか、女の子だから女性ホルモンが著しく多く流れているということはない。この「性ホルモンの同一性」が子ども達のあどけない生理的背景なのである。
ところが、小学校半ばを過ぎる頃、子どもたちの感情や行動面に、微妙な変化が表れ始める。それまでパパと一緒にお風呂に入っていた女の子が、急にパパと入るのは恥ずかしいと言い出したり、男の子が女の子に対してドキドキしたり、他人を好きになる感情や対面でまごまごとした衝動に駆られるなどの変化が表れ始める。
こうしたことは、小学校に入る年齢の頃から、徐々に性ホルモンの流れ方に変動が起き、女の子は女性ホルモンが増えていき(男性ホルモンも少し増える)、男の子は男性ホルモンがどんどん増えていく(女性ホルモンも少し増える)ことが原因である。むろん、人によって増える度合いや時期にばらつきがあり、個人差がある。
小学校の高学年になると、感情や行動にはっきりとした違いが表れ、性ホルモンの流れ方の変動がある極限に達した時、それぞれの生理現象すなわち女の子は初経(月経)を経験し、男の子は精通(射精)を経験する。こうした子ども達に対して、それに気づいた大人は「うちの子どもは思春期に到達した」とか、「うちの子どもは性にめざめた」と言い、女の子は女性、男の子は男性と呼ばれるようになっていく。
では、「性にめざめる」とは、いったい何を指して言うのか。
確かに、月経がみられるということは、卵巣からの排卵が始まったということであり、赤ちゃんが産めるからだに成長した証拠である。しかしそうであっても、それ自体が「性のめざめ」を意味しているわけではない。同様にして、男の子が精通を経験したからといって、それ自体は生殖能力の完成を意味するのだが、「性のめざめ」を意味しているわけではない。それにもかかわらず、月経が始まったり、射精が起こるようになると、当たり前のように大人たちは思春期だといい、「性のめざめ」だという。いったいこれは、何を指して言うことなのだろうか。
実はこれは、男性ホルモンの増量がさせることなのである。男性ホルモンは、人に異性を意識させる源であって、男でも女でも男性ホルモンの存在なしでは、異性、すなわち性というものを意識することはないのだ。幼い子ども達が性を意識せず、男の子でも女の子でも無邪気に遊べたのは、男性ホルモンが男の子も女の子も少なかったからであり、思春期とともに人の心に生ずる異性への意識は、男性ホルモンの増量がさせることなのである。
人は、生まれた瞬間から、「性エネルギー」という成長に欠かせない力を持っている。人は「性エネルギー」を利用し、例えば赤ちゃんのうちは、母親のおっぱいを吸ったり、大便をしたり、小便をしたりする。幼い子ども達はこれを遊びや悪戯のエネルギーとして振り向ける。小学生になると、「性エネルギー」の一部を勉強に昇華させたり、思春期から青年期にかけては、これを恋のエネルギーに利用したりする。さらに成人後は、「性エネルギー」を結婚に、夫婦仲の愛情や生殖の原動力として利用する。このように「性エネルギー」は人間形成の上で大切な活力であり、生まれてから生涯にわたって燃え続けるものであって、これなしでは成長はあり得ない。
性の意識化
思春期になって男女とも男性ホルモンの分量が増えてくると、それが迎え水のような役割となって、無意識の領域で働いていた「性エネルギー」が意識の表面に引っ張り出されてくる。これが性の意識化、すなわち「性のめざめ」ということであって、別に「性エネルギー」はいやらしいエネルギーだとか不潔なエネルギーという意味ではない。
そもそも性という字を見ただけで不潔なものとか、いやらしいもの、いけないものと決めつけたりするのは滑稽な偏見である。何度も言うように、これは自分自身が成長していくために必要な活力源であり、また表面に出てきた性の意識化も、決して不潔なものとかいやらしいものだ、というふうにとらえてはいけないのである。