の話。
寝た子を起こせ。これは一生に関わる大事なことなんだから。

友人達の包茎譚あれこれ

2018年1月17日

「包茎」の話を友人らに訊いた

 実はこのホームページを昨年夏に立ち上げる直前、私は何人かの若い男の友人らに、「包茎」についての経験話を参考までに聞かせてもらっていた。これらの内容がホームページを推進する大きな原動力となった。人それぞれ、自分の性器との関わり合いが異なる。経験も違う。だから、性器=ペニスにまつわる気づかなかった発見があったりする。今回は、友人らの赤裸々な経験話をここで紹介し、それぞれの「包茎」譚について、私なりに注釈していきたいと思う。 

【「包茎」にまつわる経験談①】友人A(仮名ケン)

《僕自身、大人への体になるのは早かったのではないかと思います。小学4年生の時には完全に包茎を卒業し、毛も生え始めました。したがって、現在も包茎でいる男性陣のお気持ちは分かりかねます。
 私はサッカーを小学2年生(8歳)ら始め、以来16年目になります。合宿や遠征も多々あり、お風呂の中では自然と見る事が多いです。しかし、サッカー選手で包茎の方はなかなかいないと思います。その理由としてはサッカーをしていることで女性からモテたり、女性を意識したり、思春期での初体験が早かったりするからだと思います。
 
 私は1年5ヵ月前にドイツに来ました。以前ドイツで知り合った日本人サッカー留学生と包茎の話をした事をお伝えします。
 当時、彼は23歳で大学を卒業してからドイツに渡り、私と同じチームで半シーズンを共にしました。日本の話やドイツで生きていく難しさなどを語り合った際、「ケン、包茎だよね?」と突拍子もなく聞かれました。最初はなぜその質問をするのか意図が分かりませんでした。私は「違うよ」と答えました。すると彼は驚き、落胆しました。
 「幼い頃から包茎だから、Hをする時はやっぱり恥ずかしい」と彼は続けました。私は「そんなに気になるの?」と無神経な発言をしましたが、小さめの声で「日本人の3人に1人は包茎かと思った」。彼の発言に確証はありません。しかし、包茎について悩み続けていました。私は包茎の方の気持ちは分からず、雑誌のページにある『○△クリニック』のタートルネックのセーターを着た男性が頭や鼻まで隠している=“包茎”という印象しか持っていませんでした。
 彼が持っていた私へのイメージは恋愛やサッカーに対する情熱や考え方が似ている事で、共感覚の人間だと思っていたのかもしれません。また、ドイツ人は男女ともに剃毛しており、包茎の方が多いです。大きさもですが。
 
 私は包茎の男性が恥じらう事はないと思います。お風呂の際に洗ったり、常に清潔を保つ、心掛けることは男女に当てはまります。私が大切にしたいのはパートナーが快く受け止めてくれる方を見極める事が大切かと思います。包茎も一つの形であり、大きさも個人差があります。恥じらいではなく、パートナーへの愛が不可欠ではないかと思います。
 私は保健体育の免許を大学時に取得したので、中・高生に性教育の授業を教えられます。しかし、今の教育は日本のお堅い教科書で具体的な事は書いておらず、社会問題にならない由緒正しく教えるのが美徳としています。
 また、コンドームの正しい付け方を実際に見せたりする海外とは異なり、日本では皆無です。要するに上の重職達の頭がお堅いから、ネットで裸を見て間違った教科書を参考にするって事です》
 
 小学4年の時に自分で包皮を剥いたというスポーツマンのケンは、オナニーが早かったから剥けたのだと語ってくれた。それでも「包茎」の男性は恥じらうことはないと言う。個人差があり、清潔であればいい。そのうえでパートナーとのコミュニケーションが大事だ、ということをケンは述べている。 

【「包茎」にまつわる経験談②】友人B(仮名ユウジ)

《私にとって、皮は興味の範疇ではありませんでした。「中身が肝心」と思っていて、早くから皮を剥こうとしていた気がします。その方が大人なのでは、と思い込んでいたからです。
 刺激に不慣れなためか、皮を剥くと股に違和感がありました。それでも少しずつ無理して背伸びして、皮を伸ばしていました。時は流れ、仮性包茎の今も頭はのぞいているわけですが、もはや違和感はありません。刺激に慣れてしまったし、下半身に新鮮なことは何もありません。これが一皮剥けるということか。大人になった気がします》
 
 中学生の頃に包皮を剥いたというユウジは、剥けたペニスが「大人のシンボル」であると思っていた。そういう理由で包皮を思春期の頃に剥く男子は、案外多いのではないか。多感な時期、身体は早く大人になりたい、でも心はまだ大人になんかなりたくないと、身体と心が錯綜する。まさにそれが思春期。 

【「包茎」にまつわる経験談③】友人C(仮名エイタ)

《悩みエピソードは特にないですかね…。あと、授業では特に教わらなかったですかね…。僕の時代は子供の作り方とか、合意の上でしましょうとか、そういうことだったので。
 そういえば確か国(か地域…?)によっては、赤ん坊が産まれたら、その時点で病院で包皮を剥くらしいです。もちろん両親の合意があれば。包茎ってよくない菌が溜まりやすいので、それを推奨してるとかで(誰が言ってたかも覚えてないくらいうろ覚えなので、ソース元も不明な情報ですけど…)。僕が知ってる限りだとこれくらいですかね…》 

【「包茎」にまつわる経験談④】友人D(仮名キヨシロウ)

《すいません自分にも、周りにも、そう言った話も聞かない為、お力になる事ができませんm(._.)m。自分にも包茎といった体験をしていない為お力になる事ができませんm(._.)m》 

【「包茎」にまつわる経験談⑤】友人E(仮名カズテル)

《今日1日考えたんですが、中学生の時、お風呂でひたすら剥く修行を積み重ね、剥いた状態で部活に出て、死にそうになりながら包茎を脱した想い出しかないですね...》
 
 私が信頼し、かつ尊敬しているカズテルが学生時代に何故、そんなに必死に無理してまで“修行”したのかというと、セックスがしたかったから…という返答。男っていったい…。これもいわゆる早く「大人のシンボル」を得たい症候群、周囲に大人として認知されたい願望の表れであろう。だからこそ日々努力の積み重ねという良い面もあるが、中学時代、今も昔も男子は、悶々とそんなことばかり考えている。確かに私もそうであった。 

【「包茎」にまつわる経験談⑥】友人F(仮名タツヤ)

《今から15年くらい前の事でしょうか? 20歳前後だった当時の私はリアルな包茎人生を歩んでいました。しかし、ある事件によりその人生に終止符を打つ事になったのです。
 当時の私はバイク(ZR250R)に跨り、専門学校まで通学をしていました。その日、深夜バイト明けでのバイクでの通学だった為か眠気を殺しながらなんとか運転をしていました。ふと、眠気が襲い、はっとしたときにはもう手遅れ。前方の車両に激突。おかまを掘ってしまったのです。
 運転手が出てくると、私の制服を見るなり「○×学校の学生さんだよね」と言いました。偶然にもこの方、私の通う専門生を毎年採用している企業の方だったようで、車の傷もそんな付いてないし、今回の事故は無かった事にしてくれると言って去って行きました。運が良いのか悪いのか、事無きを得た私は、破損はしたがバイクは走行可能だったので再び学校へ向かいました。
 
 しかし、しばらく走行していると事故の緊張が解けたからなのか、身体にある違和感を感じたのです。股間が痛い。特に陰茎の先っぽが痛い。前傾姿勢のバイクだった為に、衝突の際、ガソリンタンクに股間を激しく打ち付けてしまったようなのです。
 バイクを路肩に停め、パンツの中を確認。なんと、亀頭の部分の包皮が4センチほど横にパックリ裂けているではありませんか。出血は少なかったものの、私の頭の中は真っ白。今にも気を失いそうになるのを必死に堪えていました。そしてそんな状態の中、取り敢えず私は学校に向かう事にしました。今思えば、直ちに病院に直行するのが良かったんだと思いますが、そこまで頭が回りませんでした。学校に向かう途中、何度も何度も気を失いそうになるのを必死に堪えて、なんとか学校に着くことが出来ました。
 荷物を置き、すぐさま職員室へ。近くいた教師に事故と怪我の事を伝えると、直ぐさま病院に連れて行かれました。あたりまえです。病院に到着し、初老の先生に診断を受けました。後にも先にも男性にチンチンいじられるのはこれが最後にしてほしいです。
 
 そして先生が言った言葉は「これ、皮は摘出だね」。
「皮、摘出ですか…」
 言われてみれば、縫合するメリットは無いし、そもそも縫合出来るか分からないし、皮被ってるなら摘出してしまったほうが良いに決まっています。
 早速、手術準備にはいり、ベッドに横になりました。チラッと周りを見てみると、さっきの初老の先生とどっからともなく突如現れた若い美人な女医さんと、看護婦さん4、5人に囲まれておりました。
 え? 女医? しかもかなりの美人? なぜ?
 ぱっと見はハーレムです。しかし心境は地獄です。涙も出ません。手術なので痛みもあります。痛みを感じる度に看護婦さんが私の手を強く握り返してくれるのです。そしてそれがとても切ないのです。
 
 こんな形で私の包茎人生は幕を閉じました。長い一日でした。こんな経験は後にも先にも一度きりだと思います。貴重な経験ありがとう。そして時々、失った皮に思いを馳せるのでした》
 
 怪我で痛々しい話なのだけれど、女医や女性看護師さんに囲まれ、包皮の摘出手術をしたとは、これいかに。しかし、軽い怪我で良かったのだ。元気なお子さんに恵まれた今のタツヤくんを思い浮かべると、この経験はちっぽけなことである(アソコがちっぽけという意味ではない)。私は絶対、こんな痛い思いはしたくないが。

〈了〉
ペニスの抽象画

自分のペニスとどう対話をしていたかということでもある

  

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