男に異存はない。包茎の話。

ムンメルと愛の物語

2018年3月21日

初版では全裸写真の陰部が修正された

 人は生き、人を愛し、子を産むという素晴らしさを、これほど丹念に、ひたむきな眼差しでとらえた本も少ない。私の大好きな本である。スウェーデンの作家フランシス・ヴェスティン(Frances Vestin)著、ドイツの写真家ホルスト・テューロスコルピー(Horst Tuuloskorpi)、北沢杏子の文による若き夫婦“サンナとクラウス”の妊娠から産後までの物語を活写した『ムンメル―なぜ子どもを生むのか』(“Mummel”アーニ出版)は、性教育本という側面を持ちつつ、若い人達や大人達に生きることと愛することとは何かを伝える“ラヴ・ストーリー”の名著である。私がここで若者達に声を大にして言いたいのは、もしも好きな人ができたならば、あるいは恋人同士になれたならば、この本をぜひ手に取って読んでもらいたいということだ。
 
 『ムンメル―なぜ子どもを生むのか』は、スウェーデンに住む若き夫婦“サンナとクラウス”の物語である。もともとの原書は、スウェーデンの1970年刊“Mummel―en ny människa”で、オランダやドイツでも翻訳された。北沢氏による日本語版は、1975年刊が初版で、13年後の1988年に大判となって刷新された。

 まず本の始めで、大人と子の男女4人の全裸写真が掲載されている。1975年の初版刊行の際は、これが原著通りにはうまくいかなかった。刑法の規定に基づき、修正が施されたのだ。私が入手した初版(1979年第2刷)を開いて見てみると、それがよく分かる。
 実は、刷新された1988年版のこの全裸写真(撮影したホルスト・テューロスコルピーのカットのオリジナルの構図)は、大人と子の男女4人が横並びになって立って写っている。ところが、初版の方は、ちょうど大人の男女の陰部(性器)が隠れるようにして、切り貼りされた子の男女の全裸が前面にコラージュされており、当時、北沢氏が断腸の思いでこのような形での修正写真を掲載了承せざるを得なかった背景が読み取れる(本書の解説でも愚痴をこぼしている!)。
 ここでの全裸写真は、この本の主旨におけるきわめて重要な、男女の身体を示した具体写真であって、今日の性教育においても、男女の体の違いがはっきりと分かる明瞭かつ最良な教材である。
 

男と女が愛し合い、ムンメルが生まれた

 物語は第1章「なぜ愛するか」から始まり、第2章「なぜ待つのか」、第3章「なぜ生むのか」、第4章「なぜ育てるか」と進行する。
 サンナとクラウスは、生まれてきた赤ちゃんに“ムンメル(Mummel)”と名付けた。“ムンメル”とは、“新しい子ども”の意らしい。つまりこの本は、“サンナとクラウス”が“ムンメル”と出会う物語――ということになる。言うまでもなく、出産を控えた妊娠9ヵ月のサンナそして夫のクラウスがその準備に奮闘し、やがて産院での出産という慌ただしい出来事が過ぎた後、生まれた子供と共に自宅での新たな家族生活が始まるまでのエピソードがそれぞれの章で綴られているのだ。

 肝心なのは、単に妊娠に至るセックスのプロセスや受精のこと、出産についての知識が述べられているのではなく、夫婦が日常の暮らしの中でどうやって子を産み、生まれた“ムンメル”とどう向き合っていくのか、あるいはこれからどう“ムンメル”と向き合おうとしているのかの、生活における二人の情緒の機微も補足されている点であり、これゆえにこの本は、二人の「愛の物語」なのである。
 出産前はお産の学校で講習を受けたり、できるだけお金をかけないようバザーに行って生まれてくる赤ちゃんの衣服を揃えたり、夫のクラウスがパンツを縫ったり。出産後は仕事を抱えている身で子育てに疲れ、サンナが悲しくなってぐったりしている様子の写真もあって、二人が夫婦であることの絆がしっかりと描かれており、この「愛の物語」はそうそう簡単には、一筋縄ではいかないぞ、というメッセージも暗に込められているように思われる。
 

なぜ『ムンメル』は日本で出版されたか

 北沢氏は1972年の秋、デンマークのシルクボー(シルケボー、Silkeborg)に訪れ、元教師であるミセス・エブソンの提示した数々の性教育の教科書や教材の中から、特筆すべき本を手に取った――。それがこの『ムンメル』だ。恋愛から育児を通じて素朴で日常的な写真が、《私の心をつかんで離さなかった》のだと。この時、北沢氏は、日本での出版を決意する。

 この本に登場する妻サンナは、原著の著者フランシス・ヴェスティンの実妹。この頃フランシスは教育関連の執筆活動を手掛けており、妹の妊娠を知って、フォト・ルポルタージュによる記録を決心した。原著は、スウェーデンとデンマークで高校生のための性教育副読本としても活用された。
 1975年に日本で刊行された際の初版では、先に述べたとおり、刑法の規定によって一部の写真や文章の修正・削除が余儀なくされた。それから12年後の1987年、北沢氏はストックホルムに赴き、撮影者のホルストからニュー・プリントを入手。こうして大判に刷新された『ムンメル』が、1988年に出版されたのだ。
 
 本の終わりには、谷川俊太郎氏執筆の「子どもに提示した性の原型」という寄稿文(朝日ジャーナルより転載)が掲載されている。
 そこでもこの本は(かつて)スウェーデンとデンマークの高校生向けの性教育副読本だったことが述べられているのだが、まさに若者達の、“とても知りたがっている”セックスや妊娠・出産のことについて、『ムンメル』では愚直に優しく綴られている。ただし、谷川氏は、“サンナとクラウス”が簡素な生活の中で、たとえばお古のベビー服を持ち寄ったり、毛糸のパンツを編んだり、友達と楽器を楽しんだり、街頭で夫婦がビラを配って社会活動をしたりする様が、リアルで感動的だという。
 
 すなわち、私もこの本を読んで、知識だけではどうにもならない部分の、そういった若い夫婦の生活のリアルさにシンパシーを感じ、こういった内容の綴られ方が、この本のいいところだと思う。
 
 若い人の、昔よりも「《性》の自覚」が薄れてきている時代に、私はある種の危機感を覚えるのだ。相手を好きになっていく過程の様々な情緒が疎外され、まるで相手(恋人)をアニメのキャラクターのように記号化してとらえ、自分との結びつきが(SNSを通じた)ONであるかOFFであるかの物理的な反応でしかない日常性。だから結婚や妊娠、出産や避妊といったファクトも、思考の中では妄想化しているに過ぎない。相手がいやだと思っていることでも、それを知り合う・理解し合える情緒が欠落しているから、デートも性交渉も同棲もすべて一方的なONとOFFだけの思考回路で、行動に突っ走ってしまう――。

 『ムンメル』はそれとは違う世界の話である。かつては、これが本来的な姿であった。貧しい暮らし。でも二人は愛し合っている。寄り添っていたい。できれば子供を産みたい。育児はたいへんだし、お金もかかるけれど、それでもやっぱり、子供がいて欲しい。たったそれだけのこと。
 “サンナとクラウス”の暮らしはあまりに質素で、今の若者達には、すんなりと受け入れられないかも知れない。あるいは逆に、こういう二人って、こういう家族っていいよね、と思ってくれるかも知れない。彼ら“サンナとクラウス”が若夫婦だったのは、60年代から70年代にかけて。明らかに、昔の時代。

 でもひょっとすると、この本には大事なヒントがあるかも知れない。すべては受け入れられないけれど、大いに参考になる部分が、いくつかあるんじゃないか。本当に昔の時代の話、で済ませていいのだろうか。
 じっくりと、考えてみる必要があるだろう。何度も言う。『ムンメル』は、“サンナとクラウス”と“ムンメル”の、「愛の物語」だ。

〈了〉
『ムンメル』1988年版

『ムンメル』1988年版

1975年初版『ムンメル』

こちらは1975年初版の『ムンメル』(1979年第2刷)

初版での修正写真

初版では子供二人が前面に切り貼りされて大人の陰部を修正

初版のサンナとムンメル

初版。サンナとムンメルの写真

1988年版。サンナとムンメル

1988年版。同じサンナとムンメルの写真

1988年版。サンナとクラウス

1988年版。サンナとクラウス

1988年版。サンナとムンメル、クラウス

1988年版。サンナとムンメル、そして夫のクラウス

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