セックスのズレと「好き」という気持ちのズレ

2020年3月4日

 
 悩ましいセックスに関する大人の事情――。つい先月、そういう内容の新聞記事に出合った。カレシの性的欲求が一方的で、セックスを迫られるのだけれど、あまりしたくない――。逆に、私はもっとセックスがしたいのに、カレシとは3年もセックスがなく、そのできない理由が分からない――。
 2020年2月19日付の朝日新聞夕刊「オトナの保健室」の欄に、セックスに悩む2人の女性の声を綴った「気持ちのズレ 共有したい」という記事が掲載された。その内容を要約しながら一つずつ見ていこう。
 

カレシは「したい」、でも私は「したくない…」

 千葉市の大学生(20歳)の女性。1年半付き合っている彼氏とは、最初はほぼ毎日、性行為をしていた。いつも、セックスの同意のサインはなく、触られても自分が拒まなければOKという流れだったという。
 
 ところがだんだん、彼氏の性欲の素性(ツイッターでいやらしい発言投稿があった)が見えてきて、自分の体は単に、彼氏の性欲を満たす道具なのではないかと不安になり、セックスはあまりしたくなくなってしまった。2人でその悩みを話し合ったのだが、自分の方が相手を喜ばせようとして思わず、「本当はしたいけど、気分を盛り上げるためにわざとしたくない雰囲気を出している」と嘘を言ってしまった。それを聞いた彼氏は真に受けて、無理矢理その気にさせる(セックスを強要する)シチュエーションがいいよねと勘違いする。
 その後はやはり、彼氏からセックスを求められるのだが、「今日はしたくない」「…なんとなく」とお茶を濁したような言葉でしか答えられなかった。翌朝、服を脱ぐところを彼氏が見ていたので、「見ないで」と言っても聞いてもらえず、シャワーを終える自分を待ち構えていたので、「私の体を軽く扱いすぎ」と告げると、彼氏はすねてしまった。相手の「したい」を叶えてあげたい気持ちは以前にあった。が、今は、自分がセックスをしたくない時は「したくない」と断ることが大切、と思えるようになったという――。
 
 こうした内容の体験談を読んで、同じ年頃の若い人たちは、どんな感想を抱くのか、私はたいへん興味がある。若い男性なら、この彼氏の言動を完全に否定することはできないだろうと思うし、女性なら、セックスを求めてくる男性の気持ちを幾分か理解しつつも、自分の気持ちを押し殺してまで彼氏のいいなりになるのは違うよね、とも思うだろう。
 男性の性欲というのは、人によって強いか弱いかはあるにしても、女性の性欲とは性質的にまるで違うという点はおさえておくべきだろう。男性の性欲は、好みの人の裸や性器を見たり想像したりすると、たちまちペニスが勃起して、ムラムラと欲情が湧いてくるものであり、おおよそ視覚的要素が強いとされる。だから、この場合の彼氏のちょっとデリカシーのない態度というのは、性欲が強い場合には特に、理性でなかなか抑えられず、言葉や行動がついオモテに出てしまう、ということなのかも知れない。
 しかも、厄介なことに男というのは、女性にカラダと心のいたわりを求めたがり、それでいて変に単独行動を取りたがるところがあって、女性が執拗にかまってあげると〈ウザい、一人にしてほしい…〉と思うことが多々ある。基本的に皆、男は甘えん坊でわがままで、だらしない生きものなのである。
 
 だからと言って女性は、男性の望みを叶えてあげようとは、思わなくていい。強引なセックスはお断り、その言動を慎みなさい! という対応で構わないのである。男性は女性に「セックスがしたい」と意思表示することがある。しかしそれを受け入れたくなければ、「したくない」と言うべきだ。できれば理由を付け加えてくれると助かる。「今は、したくない」とか、「今日は疲れてるから」とか、「また今度ね♡」とか。それがなく、ただ「したくない」と女性に言われると、まったくの虚無感に駆られ、次第に自信を喪失し、極端な例では勃起不全に陥ってしまうものなのである。
 

セックスができないことの理由が分かりたい

 セックスに悩むもう一人の女性は、20代。付き合ってから3年経つが、一度もセックスがなく、セックスを拒む彼氏の気持ちがよく分からない、というもの。
 
 2年ほど前まではあまり気にしていなかったが、友達の意見を聞いて、「あれ、なんでないのかな」セックスがないことに気になりだした女性。彼氏に直接聞くと、「なぜかわからないけど、できない」「いつできるかもわからない」というふうに答えてくる。将来結婚をして子どもを持つことに同意しているが、セックスはできていない。普通にセックスがしたいのに、なぜセックスをしてくれないのか、その理由が分からず、我慢する気持ちも辛い。
 もしかして、彼が性病をもっているのか、アセクシュアル(asexual、無性愛者)の人なのか、いろいろ想像はするものの、こちらから突っ込んで話をすると相手を傷つけてしまいそうでできない。「できない」理由をもっと分かるように説明してほしいという気持ちがあって、噛み合わない状態がしんどい。別れたくはないけど、気持ちが揺らいでしまう――。
 
 セックスがなくても相手を思いやれる気持ちが継続できそうなら、自然のまま気の向くままでいて、あまりこだわらない方がいいというのが一点。もう一点は、将来は結婚をして子どもを持ちたい、という両者の意見が一致しているのであれば、それについてもっと具体的に、率直に話し合ってみるべきだということ。結婚するまで敢えてセックスを断つ、という方針なのか、それともセックスの仕方が分からないだけなのか、あるいは身体的機能の問題(例えば勃起不全)であるのか、そもそも彼女を愛していないからセックスを「したくない」のか――といったことまで率直に、愚直に。
 真相に触れない・語らないことで、かえってお互いが信頼できなくなり、傷つけあってしまうくらいなら、正面から問題にぶつかってみた方が、合理的でシンプルではないだろうか。何故ならこれは、当人同士の問題なのであって、友達に悩みを打ち明けたところで、解決する見込みはほとんどないからである。
 

「したくない」と「できない」ということ

 前者の女性のセックスの悩みは、自分の「したくない」という拒否の意思表示の問題であり、裏返すと、セックスにはお互いの同意が必要であるということ。後者の女性の悩みは、セックスがずっと「できない」ことの対処の問題であって、これらの悩みの本質は、まったく別物であると考えられる。
 後者の場合では、相手がはっきりとその理由を告げないことによって、セックスの行為は身体的に可能だが、意思として「したくない」状況が続いているだけなのか、それともセックスそのものに対する魅力も性欲もなく、「できない」のか、いずれにしてもその人の自己判断によって理由を説明し、その先の解決する策(対処法)というのは、いくらでもあるのではないかと思われる。
 

2020年2月19日付朝日新聞夕刊「オトナの保健室」

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君が「好き」ということ

 双方のケースで言えるのは、そもそも自分達は何故付き合っているのか私たちはいったいどういう関係なのかについて、ざっくばらんに省察してみることが肝心なのではないか。
 それを明らかにするために、ここで、ある有益なテクストを紹介しよう。これはベント・H・クレーソン著、(当時)東海大学助教授岡崎晋、医学博士謝国権共訳の『高校生の性知識 デンマークの性教育副読本』(池田書店、1969年)の「君が好きということ」の全文である。以下、この少々長いテクストを、この稿の結論(まとめ)としたいので、ぜひじっくりと味わっていただきたいと思う。
 

《第四章から第九章にわたっては、主にセックスに関する、きわめて生理学的、技巧的な面をのべてきましたが、こうしたことを少しでも知っていると、それが健全なセックスの雰囲気をつくる土台となります。しかし、それだけで充分かどうかは疑問です。
 セックスにいたる多くのいろいろな理由のなかには、愛しているとか、夢中になっているとか、好奇心とか、変わっているといわれたくないからとか、相手を喜ばしてあげたいからとか、相手を失いはしないかという不安からとか、あるいまったくスキだからとか、いろいろありますが、一応どれも同感はできます。
 しかし、そのような理由はどうでもよいので、道徳的見地にもとづいて一方的非難をするのは、不適切だといえます。
 すなわち、性交は二人が望んだとおりの、性的満足にたっしたかどうかわかることからも、まったく感覚的な面からだけでも、申し分のないほどうまくいき、満足しうることがあるのです。この事実に反対して、愛しあっているのでもないのにセックスするのは、性体験の本質を多かれ少なかれ見失っているのだということで、その事実を秘密にする理由はなにもないと思います。おそらく、どこが違っているのかをのべられるのは、詩人以外にできないでしょう。
 いったい、愛しあっているとは、どういうことなのでしょうか?「君が好き」とか「あなたが好き」とささやくとき、それはなにを意味しているのでしょうか。
 間接的に答えてみましょう。
 ほとんどすべての人は、恋愛を経験するでしょう。「骨の髄まで感動させる」ものは感情で、そのとき全人格は消失しています。恋愛がむくいられたときは、かぎりなく幸福です。そして、誰でもそれがわかります。歩きぶりは夢みる者のようになります。目はひじょうに輝き、心はたいそううきうきして、陽気になります。よい面がみな一時に花開くために、恋人を喜ばせるだけでなく、友だちや理解ある両親も、朗らかにさせるようになります。
 しかし、恋愛で不思議なことは、例えそれが数分のうちに生じたものであっても、恋慕の感情は、ひじょうに激しく、まるで運命であったかのような体験をもつことです。「あの人さえいれば、この世はどうなっても……」と思うのは、そのような体験にむすびついています。恋愛をすると、まるでその人とは長いあいだつきあって、心の底まで知りつくしていると思いこんでしまうからなのです。
 しかし、そんなに急激に燃えあがってくるような恋慕の情は、なにも相手を知りつくさなくてもおこるものだということは、明らかです。こうした現象は、まず第一に相手から発散されるものが、求愛者自身の心理に作用するからで、実際には、求愛者は夢みる者だけに、すなわち、恋するようになってしまったものだけに、心をうばわれてみているのです。
 しかし、やがて相手の本当の人格がよくわかるようになり、きらいな性格があまりにもたくさんみえてくれば、恋愛は破綻に終わり、空虚な哀感だけが残ります。ときには、いらだち、それどころか、おそらく憎しみにさえ変わってきます。
 「入りやすいものは失いやすい」という諺は、恋愛が受けなければならない、厳しい境遇なのです。
 「君が好き」とか「あなたが好き」という言葉は、夢中になっているとき使う言葉です。あるいは、そういう勇気はないけれども、少なくとも心のなかではそう思っています。
 しかし、恋愛がさめるとき、そうした言葉は空虚な紋切り型の文句になりやすいのです。それでも、まだ多少の恋心は残っていると、自分や相手にいいきかせるような表現にこだわります。
 恋愛が破綻した経験のある若者は、しばしば、男や女はどう耐えていったら、全人生をともに暮らしていけるのだろうかと考えます。むろん、なかにはそうできないものもいるからこそ、当然のこととして離婚するわけですが、離婚しないでいるものの一部は、おそらく実際には、もう特別たいして好きあっていないのに、「惰性」で、あるいは「子供のため」という、おそらく実際的な理由から、いっしょになっているにすぎません。人間は意識するしないにかかわらず、一人で暮すよりも、むしろ多少の不調和があっても夫婦でいることを選ぶという、たいへん不思議な傾向があるかもしれませんが、そうしたつながりを解明するのは、ここでの役目ではありません。
 ところで、いつまでもいっしょに暮す男女が一部おりますが、この夫婦は、もっとも深い感情を感じあっている夫婦なのです。彼らにとっては「君が好き」とか「あなたが好き」という言葉には、恋愛している人とはまったくべつな、もっと多くの意味があるのです。
 相手に対する愛情には、自分がその人に愛されているとか、愛されてきたからとかいったことは、いっさい前提とする必要がありません。また愛情は短期間におこるものではなく、長い期間の共同生活のあとに芽生える感情で、その根底には、とりわけ連帯感、貞節感、共通の利害感、寛容、相互認識、相互の一体化などがあります。ともに子供をもちたいという気持や、愛する人が子供のすてきな父か母になれると確信している気持も、絶対必要です。
 そのような愛情関係では、セックスは恋愛のときより小さな意味をもつこともあり、逆に大きな意味をもつこともあります。セックスは、本質的なものですが、人生という大きな結合体のなかでは、一部にとどまっているものですから、小さな意味をもつにすぎず、おそらく生涯にわたる愛情の仲介者といえます。同時に、どんなに不足のない心からの愛情関係でも、必ず訪れることのある危機のときの、調停者でなければなりません。それゆえにこそ、セックスはまた大きな意味をもっているのです》
(ベント・H・クレーソン著、岡崎晋・謝国権共訳『高校生の性知識 デンマークの性教育副読本』より引用)

 

〈了〉