「子宮」の絵を描いてみよう

2020年3月22日

 
 子どもたちに赤ちゃんの生まれてくるところを教えたら、その「子宮」を絵に描かせてみよう。性教育は楽しみながら学び、そして大人は深い愛情を注ぎながら、子どもたちの大人への成長を見守りたいものだ。
 

性器の絵を描くことは卑猥か?

 当サイトで扱う資料用画像パーツとして、私は時折、男女の性器などのイラストをAdobeのアプリを使って描いたりすることがある。普段から絵を描くことは得意ではないので、性器のイラストを描くことも、初めこそ戸惑いを覚えたものだが、そのうち慣れてきて先入観はなくなった。
 ただし、率直に言って、なかなかこうしたものをイラストにするのは難しいと思うことがある。もちろん、美大生が描くような“裸体デッサン”などと比べるのは、あまりにも当方の筆致力の無さから言っておこがましいのだけれど、簡単なイラストであれ、人体の一部をある程度精確に描かなければならないというのは、それなりにプレッシャーを感じるものだ。描くたびにタブレットのペンが震える…。もし子どもの頃に、ふざけ半分でもこうしたものを描いていたならば、こんなプレッシャーはなかっただろうに――と想像を張り巡らしてもみた。
 その一方で、一般的に子どもたちにおいても、自分の裸体性器などを絵に描くということは、かなり心理的な抵抗感があるに違いない。それどころか、親がそれを見たら、思わず子どもを叱ってしまう人もいるだろうし、描いた子どもの方も、親や他人に見られたくないだろう。
 
 いずれにしても、裸体性器を絵に描いてみたいと思う人は少数派で、美大生や美大卒でない限り、堂々とそれを描くことをためらってきた日本の文化というものがある。欧米とは違う東洋なりの美意識である。もちろん、子どものうちには、たまにふざけて、おっぱいの絵を描いてみたり、ペニスの絵を落書きして見せたりすることはある。中学だったか高校だったか、女性器を表すマークを黒板に大きく落書きしたクラスメイトを、私は経験的に知っている。しかし、それらを十把一絡げにして「卑猥」な落書きの瑣事と片付けてしまってよいのだろうか。
 
 肝心なことは、子どものうちに性について学ばなければならないということである。男女の性器の構造や機能を、ある程度知っておかなければならないのだ。
 性器の絵を描きながらそれについて学ぶ――という学習方法の選択肢があるとしたらどうだろう。子どもたちが真剣に性器の絵を描いてみたら、最初こそ興味本位でクスクス笑うような場面があったとしても、そのうち抵抗感はなくなり、本当に自分のからだの一部分について理解を示すのではないか。そしてこれが何故、「卑猥」なものとして世間では受け止められてしまうのか、あるいは描くことがタブーなのか、自分の頭の中で両面の是非を、漠然とながら考えられるようになるかも知れない。
 
 ともかく、自分のからだの一部にある性器を絵に描いてみるということ。どういう構造なのかよく観察してみること。ただし、子どもたちが描く絵は、もっとおおらかで伸びやかなものであればいい。線も色も、自由に描けばいいのだ。案外これは、子どものうちにやっておくべきこととして、一つの通過儀礼になるのではないか。
 そのことを端的に示している事例として、北沢杏子著『実践レポート ひらかれた性教育2』(アーニ出版、1983年初版)の中で記されていた「子宮の絵を描きなさい」の稿を紹介しておきたいと思う。
 

「梨の絵を描く」―デンマークの小学校の授業例

 デンマークの小学校の「交尾について」という授業参観では、先生が子どもたちに、「子宮」の絵を描かせたという。どういうことか――。
 
 もともとその授業は、図工の時間だったのである。デンマークのコペンハーゲン、ホルベア小学校3年を受け持つインゲ・ホーグ先生の性教育の取り組み例だ。インゲ先生は、まず牛の赤ちゃんの話を進めて、「牛の赤ちゃんはどこから生まれるの?」と子どもたちに関心を持たせる。既に生殖や受精の授業はおこなっていたので、子どもたちからは、「あかちゃんの通るみち!」とか「ワギナ!」という答えが返ってきた。
 インゲ先生は、「じゃあ生まれてくる赤ちゃんはどこにいたの?」と訊ねる。子どもたちは、「お母さんのおなかの中!」とか「子宮!」と答える。そう、その通りとインゲ先生は答え、黒板に大きな“西洋梨”の絵を描いた。「子宮」の形はこうです、と説明。そして子どもたちに画用紙を配り、“西洋梨”の絵を描いてもらった。それを自分の下腹部に当てて、「中の実も芯も取り除いてしまったのを想像してみましょう」と言う。それがまさに「子宮」の形。赤ちゃんはこの“西洋梨”のいちばん細いところを押し広げて、その下のワギナを通って生まれてくるのだということを理解させる。
 

子どもの「子宮」と大人の「子宮」のイラスト教材

 一方、北沢さんはそのインゲ先生の授業を倣い、ある小学校で公開授業をおこなった。同じような感じで北沢さんは子どもたちに、「子宮って、何をするところ?」と訊ねる。すると、ある児童は「あかちゃんを育てるところ!」と答えた。そのあと北沢さん「女の子の子宮って、どのくらいの大きさ?」と訊く。男子の児童が「わかんない」と答える。そこで北沢さんは、手づくりの「子宮」を女の子たちに配る。それは原寸大の子どもの「子宮」のイラストであり、実際に手に取ってみれば、それがいかに小さくて可愛らしいものかが分かるしくみだ。
 大人になると「子宮」はこんなに大きくなるのよ、というような感じで、北沢さんは子どもたちに、大人の「子宮」のイラストを見せる。「子宮」で赤ちゃんを育てる時は、大人の「子宮」はどんどん大きくなって、何倍も伸びるんですよ、と説明。そして男子児童には、その大人の「子宮」を手渡す。家に帰ったら、これがお母さんの「子宮」だよと言って渡して下さいと話す。
 

「子宮」の絵を描いてみることのシンプルな発想

 私も今回、Adobeのアプリを使って、「子宮」を描いてみたのである。インゲ先生の“西洋梨”という喩えは分かりやすいが、実際に描いてみると難しかった。「子宮」から延びた卵管の先端、すなわち卵管采(らんかんさい)は、まるで恐竜の手のようでもあり、それが連結されていない卵巣から卵子を受け取るというしくみが実に不思議で、それが左右対称であることも、不思議な構造である。
 いずれにせよ、自分で描いてみると、「子宮」の形や卵巣との関係、あるいは「子宮」の下の(イラストには描かれていないが)から精子がいっぱい入ってきて…といったこと、それから、女性の月経のしくみについても想像をめぐらすことができ、奇妙な親近感が湧いてくる。実際に子どもたちがクレヨンや色鉛筆などを使って「子宮」を描いてみることができたら、どんなに面白い授業になるだろうかと、思わずその光景を思い浮かべて心がうきうきとしてきてしまった。 

『ひらかれた性教育2』より「子宮の絵を描きなさい」

同書より「さあ、子宮をあげましょう」

北沢さんが使用した大人と子どもの子宮の型紙

私が作成した子宮のイラスト

クリックすると拡大します。

「子宮」の絵を描く時期のタイミング

 さて、こうした性器の絵を描いてもらうことの意義を十分に発揮するには、子どもの年齢の頃合いについて検討すべきであろう。基礎的な知識として、先述した北沢杏子著『実践レポート ひらかれた性教育2』に記されてあった内容を参考に、その実践的なことに触れてみたい。
 
 それには、小学校に通う子どもたちの、成長期にともなった心理の変化について把握することが先決である。例えば小学校の高学年になると、男女がお互いに異性を意識し始める。これは、大人なら誰しも経験的に思い出せると思うが、その時期というのは、異性のクラスメイトと仲良くし合うというより、むしろ異性と反発し合う時期。男の子が女の子の悪口を言ったり、逆に女の子が男の子をからかったりして、日常的に異性間で揉め事がたえない時だ。これを「異性拮抗期」という。
 そこからの反動なのかどうか、中学生くらいになると、異性が不潔に見えてしまい、逆に同性に惹かれるという「性的嫌悪期」がやってくる。もう少し過ぎると今度は、年上の異性に憧れる「年長異性思慕期」というのがやってくる。高校生くらいになると、「異性愛期」というのが訪れて、ようやく異性への愛情が本来の姿として心理的あるいは行動的に現れてくるのだという。
 
 成長期においては、こうしたそれぞれの神経質的な時期(まさしくこれが思春期)があるので、自分の性器もしくは異性性器にあまり恥ずかしがらずに抵抗なく向き合えるのは、それより以前、つまりそれは小学校高学年に差し掛かる前ということであり、小学4年生くらいがその時期に当たるのではないだろうか。その頃に「子宮を絵に描いてみよう」という実践が、効果的に子どもたちの自然な心理状況の中で成就し、ベストなタイミングと言えるのではないか。
 

子どものうちに「子宮」を描くことの実践の意味

 小学校の性教育では子どもたちに、生殖受精、男女の性器について教えることになっている。当然そこでは子どもたちが理解しやすいように、性器などのイラストだったり統計グラフを用いて、視覚に訴える技術も必要となってくる。それとは別の情操教育として、最もシンプルな方法で「性と向き合う」、または「性に関心を持たせる」ことのためには、自分で性器の絵を描くというのは、案外有効な手段なのではないだろうか。
 本質的に、自分のからだを直視する・よく見つめてみるということは、10代のうちではとても大事な経験であって、例えば女子生徒にアンケートを取った例では、自分の性器(外性器)はっきりと見たことがないと答えた女子が意外に多いのだという。自分の性器についてよく知らないということは、生殖以外の面で避妊性感染症の観点においても、とても恐いことである。
 
 だから、子どものうちに「子宮」絵に描いてみるというのは、それをよく知るきっかけとなり得るわけで、理に叶った適切な教育なのではないかと思うのである。自分が生まれてきた場所の「子宮」を、しっかり絵に描いてみることの体験は、自分自身の存在の肯定感親との関係を率直に理解することにつながり、命の大切さの教育にもつながるはずだ。
 
 男女問わず、「子宮」について愛着感を持ち、そのしくみを理解することができるのであれば、「子宮」絵に描くことは、自分のを見つめる第一歩となるだろう。馬鹿馬鹿しいと思わないでほしい。このことを“エロい”と言ったり、親がタブー扱いするのではなくて、子どもの成長における心の拡がりに「愛情」が芽生えてくることの種子として信頼すべきなのだ。その子が将来大人になった時、異性に対する深い「愛情」は、あの時「子宮」の絵をきっかけにして生まれてきたものだと、納得できるだろう。子ども自身の心とからだの素朴な関心事として、子どもが「子宮」性器絵を描くことを、ためらわず、温かく寛容な心で理解してあげたいものである。
 

〈了〉