の話。
寝た子を起こせ。これは一生に関わる大事なことなんだから。

男の性の派閥論

2022年10月10日

 
 人間は、ただぼうっと生きているだけでは絶対に幸福になんかなれない――。
 何の前触れもなく突然目の前に現れた女性がとても素敵な人で、いっぺんに一目惚れしてしまって、相手の女性も自分のことを大好きになってくれて、やがて結婚し、子どもができ、円満に老後を送るなんていうたぐいの幸福は、ぼうっと生きている人のところには、絶対に永久にふりかかってくるものではないのである。
 
 あらゆる意味での幸福を求めるのに何が大事かといえば、サブカル(Subculture)なのだ。サブカルにふれることによって知性を磨き、自分はいったい何を愛しているかを知らなければ、一目惚れなんて高等なことはできないはずだ。
 愛し合うことしかり、セックスの知識しかり、結婚や家族計画しかり、子どもとどう向き合って暮らすかもしかり。個人のサブカルに対する総量(熱量といってもいい)が多ければ多いほど、幸福に結びつく機会が増える。それは単に下位文化や珍文化のことを指しているのではないのだ。
 
 若い世代の男の子が、自身の性行動をどう確定しうるか。あるいは自分の彼氏が、どんな性行動性を許容し望んでいるかを判定しうるタイプ別について、かつて面白い見解を述べた人がいる。
 医学博士・奈良林祥氏である。
 彼の名著セクソロジー本『20歳前後の本 これだけは知っておこう!』(KKベストセラーズ、昭和43年初版)では、「アナタの彼は何派?」というトピックがあって、そこに5つのタイプの「男の性の派閥」が詳説されていた。はて、この性行動における5つのタイプが、現代の若い男性にもあてはまるものか否か――。
 その核心の議論は後回しにすることにして、ともかくこの興味深い5つの「男の性の派閥」を見ていこう。

5つの「男の性の派閥」

 「アナタの彼は何派?」のページに示されていた5つのタイプの「男の性の派閥」は、若い男の性行動をわかりやすく分類した図である。その図の内容をここに再現してみたので、まずは画像を参照してみてほしい。
 さあ、いかがでしょうか――。とどのつまり、男の性行動のタイプは、次の5つに集約されるようである。

①完全禁欲主義派
②新禁欲主義派
③性道徳二重構造派
④愛情付随婚前性交許容派
⑤無条件婚前性交許容派

 
 ①の「完全禁欲主義派」は、性の欲望に対する強固な防御壁ともいえる主義である。日頃自慰はするけれども、結婚するまで性交はもちろんのこと、相手への全ての性行動(キスやペッティングを含めて指す)をひたすら慎み禁欲し、童貞を守る派。
 ②の「新禁欲主義派」は、結婚まで童貞は守り抜くが、それまでのあいだに女の子とはペッティングくらいはしてもいいと許容する派。
 ③の「性道徳二重構造派」はちょっとばかり心理的に複雑である。まず、相手の女性に対しては、「処女で貞節であるべき」という考え方を持つのが一つ。もう一つは、女性は別段婚前性交したっていいんじゃないのと許容していながらも、自分が結婚する女性は「処女に決めている」という考えを持つ男性とに分かれる。が、いずれにせよ自分自身は、「婚前性交も婚外性交もしますよ」という、相手に「純潔」を望むのとは裏腹に、自分の性行動はきわめて自由であるといった性道徳の観念が二重(不均衡)になっている派。
 
 ④の「愛情付随婚前性交許容派」は、お互いが真面目に付き合って愛情があり、結婚を未来に想定しているならば、婚前性交もいいという派。
 ⑤の「無条件婚前性交許容派」は、男の婚前性交婚外性交が許されるのならば、女性だって同じように許されていいだろう、性行動に関しても男女同権であるべきだと考える派。

戦前の日本人男性はみな③だった?

 これら5つのタイプについては、それぞれ突っ込みどころがあると思うが、奈良林氏はこんなようなことを述べている。
 性の道徳観などというものは、常に流動的で、変わるものであり、一定不変のものではない。大人は若者の性の道徳が乱れているとよくいうが、その大人の若い時代、つまり戦前の頃の日本人男性なんていうのは、ほとんどが③の「性道徳二重構造派」だったではないか。この身勝手極まりない派閥が、どこかの政党の如く、圧倒的多数派だったわけだ――。この点について、女性は深く心に銘じておいたほうがいいとも忠告している。
 
 むろんこの本は、昭和40年代に出版された本なので、その点留意すべきであり、その頃の大人の男性がほとんど戦前生まれで、「性道徳二重構造派」のような考え方――すなわち「男の性は常に野心的であるべき」だという堅固な信念を持ちつつ、相手の女性に対しては、「純潔」で慎ましくしているべき――を信奉するねじ曲がった価値観を持った人が多かった、ということなのである。
 
 女性が求める平均的な男性像は、②の「新禁欲主義派」であろうと奈良林氏は述べるが、昭和の当時であっても21世紀の現代日本であっても、この派閥の理想と現実はなかなかスイングしておらず、これを実践できる男性がいるとすれば、ある意味かなり進歩的といえるだろう。
 なぜ進歩的かといえば、ペッティングのみの性的接触であるならば、避妊を考えた時にかなり有効であるからだ。ところが実際のところ、①の禁欲主義よりもはるかに難しく、ペッティングの行為の最中に性交(膣内射精)を禁とするのは、興奮した状態での男性の性交回避策としてかなりつらいものがあり、よほどの忍耐力が必要であろうと思われる。
 
したがって女性としては、②の「新禁欲主義派」の意思を示した男性はそこまであった忍耐力がとたんに欠乏して、「ムリ無理。やーめた。やっぱり婚前性交許容派になりまーす」といって最中の最中で派閥転向してしまって、相手に同意もなく性交に踏み切ることがじゅうぶんにありうるのよね――ということを想定しておかなければならない。男の基本方針なんてものは真に受けてはならないのである。

奈良林祥著『20歳前後の本 これだけは知っておこう!』

アナタの彼は何派?

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 結局、④の「愛情付随婚前性交許容派」がどうやら、最も派閥として穏健な、奈良林氏が今日的特徴だと言い表している、確実性を持った性行動の態度であるかもしれない。
 ただし、愛しているんだから結婚前でもいいだろ? と迫るのは、③「性道徳二重構造派」の男性も同じであり、この点、女性は男性のこういうセリフに用心せよ、とも促している。

性交は誰のためにおこなうのか?

 この5つの「男の性の派閥」は、未婚者の若い男性に関して――と注釈が加えられることに、留意しなければならない。もはやそれ以外の既婚者の男性(おもに中高年)に関しては、かつて自分もそういう派閥に属していたよねえ的な結果論となってしまうからだ。
 男女を問わず現在の若者に置き換えてみて、私はどの派閥に属するだろうかと考えてみてはどうだろうか。単なるお遊びの一種ではなく、あくまで真剣に、性交渉について自分がどう受け止めているかを知る手がかりとなるだろう。
 
 残念ながら統計としては、性体験の実態や度合いを調査した報告はあっても、「自分の性交渉の態度はこういうように位置づけています」を知る個人の何派を集計した調査など、ほとんどまともにおこなわれていないのではないかと思われる。したがって今、現在の若者「性の派閥」を指し示す資料がなく、昨今の傾向はわからないというのが正しい。
 
 「婚前性交」避妊をともなったセックスの快楽性を豊かにし、「婚前性交をよしとしない」考えの者は、避妊をともなったセックスの快楽性を半ば拒絶(あるいは全否定)し、「セックスは受胎によってのみなしうるもの」という価値観があることは、今も昔も変わらないはずである。つまり、セックスの快楽性を受容するか否かというのが、あの5つの「男の性の派閥」の核心部分なのだ。
 さらに突っ込んでいえば、セックスの快楽性が自身とパートナーにおける幸福と結びつくかどうか、現代においてはその幸福とは何かといった定義や尺度でさえも多岐に広がり、必ずしもセックスの有無が婚姻後の家族計画を含めた幸福の度合いに左右するとは限らないのである。

知らないことこそ性悪である

 であるにしても、セックスについて何も知らなくていい、「性の派閥」なんて興味ないなんていうのは論外である。
 快楽を知らないということ、性病の怖ろしさを知らないということ、望まない妊娠がどれほどお互いを苦しめるかについて考えが及ばないことは、そもそも人間の存在を毀損する考え=人間否定ということにつながるからだ。
 単純な話でいうと、肉体的快楽をともなったセックスという行為は、セックスそのものに善悪があるのではなく、それをおこなう個人の思慮の領域にこそ善悪が潜んでいることを肝に銘じておくべきなのだ。
 
 当サイトでも「奈良林祥先生のセックス講義」「男子のオナニー改革論」など、必要な知識をまとめてあるのでぜひとも参考にしていただきたいのだが、もっと詳しく知りたいのなら、T.H.ヴァン・デ・ヴェルデ著の『完全なる結婚』(安田一郎訳/河出文庫)という本がお薦めである。
 この本は性生理学性解剖学衛生学にとどまらず、性交渉におけるテクニックについても網羅している。奈良林氏が示したような「性の派閥」などという言葉は出てこないが、本の中の「精神衛生」の項では、性交渉に対する態度の在り方について詳述されているので、大いに参考になるはずである。

〈了〉