貧しい性教育―新旧・保健体育の教科書を読み解く
性教育―欧州の性教育は0歳から
日本の公教育現場における性教育と保健体育の教科書について触れる。
去る2月12日付配信ダイヤモンド・オンラインのニュース「日本の性教育は時代遅れ、ユネスコは小学生に性交のリスク教育推奨」(記事はフリーライターの末吉陽子)を読んだ。端的な見出しであり、記事の内容も非常に興味深かった。
10代の若者の成長発達に伴う男女の性の知識、性交や避妊、性感染症についての日本の公教育は、諸外国と比べて遅れている。ユネスコの『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』によると、性教育の開始設定は5歳からで、欧州の標準的な性教育は0歳からとなっているそうだ。
この点でまず日本は、追いついていないことが分かる。さらにこの『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』では、小学生にコンドーム無しの性交のリスクについて教える必要性にまで踏み込んでいるという。性交のリスクの一つとして、性感染症がある。国内における若年者の性感染症(性器クラミジア、淋菌、性器ヘルペスウイルスなど)の発生の割合が顕著に一定数あるのだとすれば、このままの「現行」の性教育でよろしいのか?という問題である。
もう少しニュース記事の中身を要約する。1972年に日本性教育協会が設立され、戦後の“純潔教育”から性科学を軸とした性教育へと転換が図られた。1992年の学習指導要領改訂により、HIV教育が盛り込まれ、小学校における性教育はやや前進したかに見られた。
ところが2000年代に入り、東京都日野市の養護学校における性教育バッシングなどが起こり、全国規模でこの問題が取り沙汰され、東京都議が“行きすぎた性教育”と呈し、前進した性教育は大きく後退した――。
昭和と平成の保健体育の教科書を比べてみる
昭和の教科書はすごく地味
性教育というと日本では、保健体育の教科の授業で教えることになっている。どんな内容になっているか、大人になると忘れてしまっている人も多いだろう。今回は、新旧(1980年代と2010年代)の中学校保健体育の教科書を比較参照していきたい。
私が中学1年生だったのは1985年で、和暦で言うと昭和60年である。昨年、その頃の文部省(当時)検定済の中学保健体育の教科書を入手した。昭和58年2月発行の東京書籍『新しい保健体育』である。本の大きさはB5判で小ぶり、これがまた実に昭和らしい地味な教科書であり、個人的にはとても懐かしい。この教科書を私の母校で当時採用していたかどうかは憶えていないが、学校の教科書と言えば、外観も中身も大凡こんな感じであった。
東京書籍『新しい保健体育』の中身は、体育編と保健編とに分かれている。無論、ここで参照すべきは保健編の方である。保健編の中身は4つの章に区分されており、「心やからだの発達」、「健康と環境」、「けがの防止と病気の予防」、「健康と生活」の順になっている。
保健編第1章となる「心やからだの発達」は、さらに4つの節に区分されている。「1.からだのはたらきの発達」、「2.運動能力の発達」、「3.心のはたらきの発達」、「4.欲求と行動」。男女の生殖機能に関しては、最初の節「1.からだのはたらきの発達」で学習する。この節では、①呼吸機能の発達、②循環機能の発達、③内分泌機能の発達、に分かれていて、③の内分泌すなわちホルモンを生成分泌する器官の発達云々の学習内容が、いわゆる生殖機能に関した箇所である。
さて、その第3節「内分泌機能の発達」を参照する。ここでははじめ、「男子と女子のちがい」という小題の中で、男女のからだは発育し、からだと心が発達することが述べられている。個人差はあるものの、11歳から14歳頃になると、男子は“男性らしい”からだつきに、女子は“女性らしい”からだつきになると説明する。「精通」「月経」の用語が見られ、これらの用語には、本文下部に書き添えられた注釈が加えられている。
これが実に淡泊で疎かな文言なのである。「精通」→《精巣でつくられた精子がはじめて排出されること。12~17歳のあいだにみられることが多い》。「月経」→《卵巣でつくられた卵が受精しない場合に、ほぼ28日ごとにくりかえされる子宮からの出血》。
ちなみにこの教科書にある「体型の変化」のイラスト図は、抽象的な男性と思われる体のみで女性の体のイラストが併記されていないため、男女の体の発達の違いがまったく分からない。また、この「体型の変化」イラスト図自体も、体型の変化と称しながら、単に脚が伸びただけにしか見えず、体のどこがどう変化していくのか抽象的すぎて分からない。そもそも外性器の部分すら無いのだから、このイラスト図を見る必然がないのだ。
さらに重箱の隅をつつくと、別ページにある「おもな内分泌腺」のイラストでは、「精巣」と「卵巣」の部分が括弧付きでそれぞれ、“男性”、“女性”と併記されているとは言え、同じ体のイラストに示されてしまっているから、なんともへんてこりんで不気味である。中学生では理解しづらいのではないか。
「第2次性徴の発現」の小題では、からだの変化のほか、男子と女子では感情や行動のちがいなどがはっきりしてくると述べられている。これが「第2次性徴」のあらわれだが、このような変化はホルモンのはたらきによるものと説明。この後のページで下垂体と性腺刺激ホルモンのことが書かれているのだが、これについては割愛する。
第3節「内分泌機能の発達」においてこの教科書の図表は、その「第2次性徴」のあらわれる年齢のグラフと、男女の骨盤の幅の年齢による変化、肩幅の年齢による変化のグラフを掲載し、これに付け加えて先述の「体型の変化」のイラスト図を掲載。有名なスキャモンの発達曲線のグラフもある。
が、総じて、性教育の範疇にはほとんど値しない内容と言えるだろう。まだ「精通」を経験していない男子生徒からすれば、「精通」とはいったい、自分の身に何が起こるというのか、何がどうなるのか、ここでの文言だけでは、さっぱり分からないと思う。むしろこの教科書では、性について、思春期における男女の生殖機能の発達や変化、生理現象には極力触れないようにしているむきがあり、受精や妊娠出産、避妊、さらには性感染症についてはまったく触れられていない、消極的かつお粗末な内容であった。これを言い換えるとすれば、昭和60年代頃の性教育は、とても先進国とは思えない“貧しい性教育”だったのである。
平成の教科書はカラフルで分かり易い
では、2010年代の東京書籍の中学保健体育の教科書を見ていこう。平成23年検定済み、平成26年(2014年)2月発行の東京書籍『新しい保健体育』。本の大きさはB4判。
こちらも「保健編」と「体育編」とに分かれている。「保健編」は全4章あって、第1章の「心身の機能の発達と心の健康」のうちの第3節「生殖機能の成熟」が、旧教科書における“内分泌機能の発達”に相当する。
この第3節では冒頭のページでいきなり男女の全裸のイラストが掲載されており、旧教科書とはまるで違ってカラフルで視覚的に分かり易い構成となっている。小題「思春期のからだの変化とホルモン」で下垂体からの性腺刺激ホルモンの分泌について学習し、卵巣と精巣について概略的に理解を促す。次の小題「男子の生殖機能の発達」では、「精子」「精液」「射精」「精通」について学び、「精通が起こった時期」という調査グラフの掲載があり、「男子の生殖器と射精の起こり方」というイラスト図もある。「女子の生殖機能の発達」では、「卵子」「排卵」「受精」「月経」「初経」と用語が並び、次の小題の「受精と妊娠」に及んで「月経」から「妊娠」に至る身体的過程を学ぶ。
日本の保健体育の教科書は文科省の指導要領に忠実
現行(平成29年3月)の文科省の「中学校学習指導要領」の保健分野における目標を見ると、以下のような文言の箇所がある。
①《感染症は、病原体が主な要因となって発生すること。また、感染症の多くは、発生源をなくすこと、感染経路を遮断すること、主体の抵抗力を高めることによって予防できること》
②《身体には、多くの器官が発育し、それに伴い、様々な機能が発達する時期があること。また、発育・発達の時期やその程度には、個人差があること》
③《思春期には、内分泌の働きによって生殖に関わる機能が成熟すること。また、成熟に伴う変換に対応した適切な行動が必要となること》
これらの事柄の「内容の取り扱い」を読むと、①に関しては、
《後天性免疫不全症候群(エイズ)及び性感染症についても取り扱うものとする》
とあり、③に関しては、
《妊娠や出産が可能となるような成熟が始まるという観点から、受精・妊娠を取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする。また、身体の機能の成熟とともに、性衝動が生じたり、異性への関心が高まったりすることなどから、異性の尊重、情報への適切な対処や行動の選択が必要となることについて取り扱うものとする》
とあって、これらを総合するに、旧教科書時代では明らかに消極的であった生殖機能の“成熟”という観点に大きく踏み込んで、受精・妊娠を学習し、そのリスクとしての性感染症の予防についても学習するようになっている。ただし、新しい教科書では、その予防について、「性的接触を避けること」と「コンドームを使用すること」という文言にとどめられ、コンドームの使用法や経口避妊薬(ピル)についてまでは踏み込んではいない。ちなみに、日本の現行の保健体育の学習としては、結婚や妊娠・出産、中絶、避妊などに関しては、高校の同教科で学ぶことになっている。
教え育むとは自分を守ること
欧米・諸外国と対峙する日本の性教育。国内においては、かつての時代よりもいくらか踏み込んだ内容にはなっている。が、いかんせん、「性交」についてはほとんど語られていないのが現状である。他者との安易で思いやりのない性交渉は、心身ともに様々なリスクを伴うおそれがある。だから、子供のうちからしっかりと、コンドーム着用による避妊について教える。相手を思いやること。相手を傷つけないこと。心の問題を理解し、育むことは、さまざまな局面でのハラスメントを未然に防ぐことになり、自分を守ることにもつながる。
そうした相手を思いやり、同時に自己の心身を守るための学習が前提となっている諸外国の性教育に対して、日本の性教育は、実になおざりな、いまだ性善説の立ち位置に無責任にとどまっているようにしか思えない。思春期只中の青少年の思いがけない悪しき行動について抑止する効果を、保健体育という教科は持ち得ていないのだ。何より彼らは、正しい具体的な避妊法をどこからも学んでいないのである。
少なくとも私は、高校からではなく中学で出産や中絶、避妊についての授業を前倒ししておこない、コンドームとピルの現物を授業で学生らに提示して見せ、避妊具や避妊薬とはどういったものなのかじっくり学習すべきだと思うし、模型を使ったコンドームの着用の仕方を、男子は必須で実践すべきであると思う。こうした必要不可欠な性のことを教えようとしない大人達こそ、行きすぎた無責任者と、言えなくないか。