初経を赤飯で祝う風習についての考察
北沢杏子著『実践レポート ひらかれた性教育』シリーズ
現代的な“新しい性教育”の在り方の「包括的なセクシュアリティ教育」をとらえるのに役立つ本が、アーニ出版の北沢杏子著『実践レポート ひらかれた性教育』シリーズ(1~5)であった。なんとこの著書シリーズは、1980年代に出版された既刊本なのである。
私はなんとかすべて、第1巻から第5巻までを取り寄せることができた。アーニ出版と北沢杏子さんの性教育に関する取り組み、その大まかな来歴については、当サイトの「性教育授業セットを使った北沢杏子さんの授業」を読んでいただければ幸いである。この本、『実践レポート ひらかれた性教育』シリーズで私が最初に入手したのは、2の「9歳から12歳まで」(1983年初版)であった。半信半疑で読み始めてみたら、これがまたたいへん参考になり、繰り返すようだけれど、「包括的なセクシュアリティ教育」を考えるうえで手放せないバイブルとなった。全体の内容をざっくりと理解してもらうべく、以下、各章の見出しを引用しておこう。
1 性は人権とどうかかわっているか
2 二次性徴をどう教えるか
3 思春期の心理をどう教えるか
4 受精のしくみをどう教えるか
5 生まれることと死ぬこと
6 性交をどう教えるか
7 子どものセクシュアリティを伸ばすために
8 男女共修の初潮教育
9 学校と家庭をどう結ぶか
10 子どもの質問にこたえる
付 マスターベーションについて考える
(北沢杏子著『実践レポート ひらかれた性教育2』目次より引用)
言うまでもなく、この本は「9歳から12歳まで」と括り、小学中学年から高学年にかけての男女の児童にどう性について教えるかが主旨となっている。この時期の子どもの心とからだは、著しく自我が発達し、からだも成長し、自身のからだの変化に驚き、異性への対面にも大小の戸惑いが生じてくる頃である。何故自分達はこの時期にそうなるのかを教え、それがどう人権と結びついていくのか、自分達が大人になっていくことへのプロセスを感覚的にありのままに理解することが肝心となる。
なぜ、初潮を赤飯で祝うのかの疑問
私がこの本を読んで、とくに関心を抱いたのが、女子の「初潮」(初経)に関する箇所であった。この時期の子どもたちへの性教育(=からだの成長と変化)においては、「初潮」(初経)は最も力点が置かれるテーマでもある。
第8章の「男女共修の初潮教育」では、男女の子どもたちが学ぶ「初潮」(初経)が主題となり、それに続く第9章「学校と家庭をどう結ぶか」も、ほとんど実は「初潮」(初経)の話となっている。その第9章の小節に、「なぜ、初潮を赤飯で祝うのか」という見出しがあって、私はそのテーマにとても関心を抱いた。半ば好奇心を掻き立てながら、その節を読んでみると、これがたいへん驚くべき内容となっていて、目から鱗が落ちたのである。
考えてみれば、確かに私が小学生だった頃(80年代の頃)、女の子が初経をむかえた時、その家庭で赤飯を炊いて祝うもの――という話を、誰からか聞いたことがあった。しかしながら、実際に赤飯を炊いて祝ってもらったよ、というクラスメイトの女子の話は、あまり聞いた憶えがない。
そもそも、初めて月経を経験した女の子が、あからさまにそれを吹聴するようなことはしないだろうし、祝ってもらったことを他人に知られたら――特にクラスメイトの男子に知られたら――その時期の子どもの心理からすれば、相当恥ずかしいし、場合によっては心が傷ついてしまうかも知れない。ともかく家庭で赤飯を炊いて祝われること自体、かなり心理的な抵抗があったはずなのだ(だからこそ事前の「初経教育」が必須であることについての論旨は、ここではとりあえず省いておく)。
第9章のうちの「なぜ、初潮を赤飯で祝うのか」の節では、北沢さんが聞いた女の子の話を書きだし、やはり恥ずかしかったとか嫌だったとか、兄弟に知られたくなかったとか、自分のプライベートな事柄を他人にめでたいと思ってもらわなくてもいい、といったような感想が綴られていて、大人の感覚と子どもの感覚との違いの心情的な衝突があることに気づかされる。
大人の方は、子どもが初経をむかえ、からだが大人になりつつあることをしみじみと感慨深く喜ぶのだろう。しかしその子どもは、自分のからだに何が起こったのか、まだ戸惑ったままである。からだの異変の不安な気持ちがあるうちは、誰に祝われようと嬉しいとは思わない。これがもし、男子の「精通」で同じように家族で赤飯を囲んで祝われたとしたら、あまりに気恥ずかしくてこんな嫌な体験はないと、私自身はそう思うのだ。
では何故、初潮(初経)を赤飯で祝うようになったのか。後節の「出産・月経とけがれの思想」の記述の内容と併せて紐解いていきたい。
初潮―血でけがれるということ
第9章の節「出産・月経とけがれの思想」の冒頭で、古い時代の「けがれ」という観念について、民俗学者・瀬川清子氏の著作などから拠られて解説がなされていた。瀬川氏は同じ民俗学者の柳田国男と並ぶ特筆すべき人である。そのことについては、字数の関係上ここでは述べない。
古代、仏教の興隆にともない、病気と出産は「物の祟り」とされたという。出産の「けがれ」を産穢といい、月経もそれに含まれ、とどのつまり、女性の産は牛・馬・犬・鹿など家畜の産と同等におかれていたのである。
出産や月経の「けがれ」の忌日には、女性は粗末な小屋(仮屋、産屋、角屋、よごれ屋)で暮らし、母屋の神仏をまつる部屋に入ってはいけないとか、倉には入れないとか、井戸に触ってはいけないとか、竈(かまど)がけがれるから煮た物は食べてはいけないといった禁忌があった。こうした風習が、地方によっては明治の中頃まで続けられたという。
「出産・月経とけがれの思想」では、明治民法における婚姻での、いわゆる男尊女卑的な制度――《婚姻は家を絶やさないためという大義名分の上に行われ、個人同士より家と家との関係が重視され、不妊は離婚の理由になった。夫は、妻の姦通、不妊、極度の不行跡を理由に、一方的に離縁を申し渡すことができた》――についても触れられ、話は伊豆の島々に移る。そもそも「初潮」(初経)の赤飯で祝う風習は、《「嫁して子を産める」証拠を、親戚縁者や近隣の人々に吹聴するためではなかったか》と北沢さんは述べている。
大島・三宅島では「初潮」(初経)のことをハツヨゴレ、ハツカドと言い、八丈島ではウイデ、ハツデ、ハツタビと言った――云々の話が瀬川氏の著書から引用され、伊豆大島においては、そのハツヨゴレには、親は紋付き羽織を着て提灯をつけ、娘をヨゴラヤ(よごれ屋)に送る、といった話も付け加えられている。そこで大勢(特に若い衆)が餅や赤飯や酒、肴などで祝い、その子が婚姻の資格を得たしるしという意味の通過儀礼、風習であったということなのだ。
「初潮」(初経)で女の子を祝いつつも、それ以前に女性が家畜と同等とみなされ、家父長制の封建的な村社会における男尊女卑の習わしが、近代まで続いていた。これが結局、女性に対する支配権が及んでいた時代の名残であることを考えると、北沢さんはこの「赤飯で祝う」ことに懐疑的になるのであった。
“ひらかれた性教育”という大義からはまさしく対極にあるであろう、女性蔑視の古い時代の話。あるいはその観念のよからぬ名残について考えてみるのもまた、「包括的なセクシュアリティ教育」の必要性を言及する方法論であると私は思った。子どもの成長を祝うという昔からの習わしの中に、同じようなセクシュアリティの支配的な観念があるのだとすれば、安易にそれを継承すべきではないのかも知れないのだ。そのあたりのことも含めて、個人的にはさらに理解を深めていく必要があると、あらためて痛感した。