【最終更新】答えのない性のメッセージに対して
たいへん突然ではありますが、2017年7月から約6年間、セクシュアリティ教育に関して発信し続けてきた当サイト[男に異存はない。性の話。]は、今回のこの投稿をもって最後の投稿といたします。サイトは可能な限りの期間、このままウェブ上に残していきたいと思います。
「性に関する勉強会」としての個人的取り組み
ここのところ、包括的セクシュアリティ教育のトピックスに関しては、サイト立ち上げ以来、一巡したなという思いが強くありました。
プライベート・ゾーンに関する正しい知識を得ようというところから始まって、発展的に社会的なセクシュアリティの諸問題について個々のテーマを取り上げてきました。その中でたいへん優れた書籍や関連ウェブサイトとも出合うことができました。
[男に異存はない。性の話。]は、いわば自分の「性に関する勉強会」のために立ち上げたわけですが、おおむね、これまで掲げてきたそれぞれのトピックに係る諸問題や課題、改善策などについては、依然として日本の公教育において、ほとんど道半ば、解決していない事柄が多いということは、強調しておきたいと思います。
また、学校での性教育が不十分だった世代の、学び直しの機会が公共のコミュニティの場においてほとんど無いことも、かえって子どもたちと接する家庭においても日頃、性に関してのコミュニケーションのチャンスを、タブー視もしくはそれ自体を不協和にしてしまっていることがあるのではないかと、危惧する部分ではあります。
こうしたことは、くりかえしくりかえし、性に関する正しい知識の必要性をメッセージとして述べていくほかはありません。
しかし、どう足掻いても、専門家ではない私の伝えられることには限界があります。先に一巡したと述べたのは、信頼できうる発信者としての限界点という意味でもあり、専門家ではないということは、それ以上の信頼感を得るのは難しいということになるわけです。
私はこれまで多数の資料をもとに、なるべく正確な情報を執筆してきたつもりですが、間違っている箇所や根本的に認識を誤っている部分も、ないとは言い切れません。もしかするとあちこちにあるかも知れません。
この点に関してはぜひとも、みなさんが主体的な行動者となって、複数の専門的な資料などや信頼のおける先生方のお話と照らし合わせ、個々の性に関する情報のエビデンスとなるものを確認していってもらいたいとも思います。
そもそも性教育の本質は、自らが幸福に生存していくための、性との向き合い方のアップデートの連続なのですから、情報を受け取る側がどう自分の問題として考えることができるか、つまり、それによってどう社会活動に係る部分で「穏健」と「協和」の人間学を学び取ることができるか、だと私は思います。
男女よ、ポルノ文化こそよく学べ
性の無知に関することで、こんなエピソードを記しておきます。
私の知り合いの男性(40代・既婚・子持ち)が、ごく最近のSNSで、こんなコメントを残していました。
《最近知ったのだが、今、エロ動画は素人が個人撮影して投稿してるのね。凄い時代でごわす…》
私はこの文章を、何度も何度も読み返しました。
ポルノグラフィーはそもそも素人(一般人)が楽しむためにそれを物品化しているところから歴史が始まっており、例えば縄文時代の土偶などは、もしかすると、ポルノグラフィー的なイコンだったかもしれないのです。そういう想像は可能だと思います。
インターネットの世界で起きていることは、社会生活のごくごく一面でしかありません。エロ動画やエロ写真のたぐいはもっともっと古い時代からあります。
当然、素人(一般人)がそれを自己撮影(もしくは自己造形)して、物品化したもののほうが圧倒的に多いわけで、例えばそれを束ねて商売にしているところで成り立っているのが、ポルノグラフィーの業界の本質ではないでしょうか。これはもう、社会人類学的なセクスティングという行為の常識です。
ポルノグラフィーとは、いわゆる自分の性を売ったり買ったりする世界の話。そう考えると、いにしえの時代からそういう商売はあるだろうなあくらいなことは、想像つくと思います。
ところで少なくとも、私がこの[男に異存はない。性の話。]を立ち上げた当初から、日本の性教育の遅れについて口にしていたことを、その知り合いは知っていたはずなのに、たぶん一度もウェブサイトを覗いてくれていなかったのだなと思います。むしろ自分の発信力の非力さ、メッセージ性の無さを痛感しました。
もう自分のちからで考えよう、学んでいこう
包括的セクシュアリティ教育というのは、発信者の問題より、受け取る側の受け止め方の問題のほうが大きい、というのも感じます。むろんそうである以上は、もっとキャッチーなメッセージで注意を惹くようなセンスが必要だったのだろうとは思うのですが、とかく、性の話は見ざる聞かざる言わざるで片付けたい、遠ざけたいと思う人が多いというのは、まさにそうだと思います。
ただし、ネット上で性器の幼児語や俗語を意味もなく面白がって連呼したりしている人は、全く性についての知識がないのと同じです。無視しましょう。
であるならば、自分のちからで、包括的セクシュアリティ教育と向き合うのがベターだということ。
簡単なところから始めてください。まずはこっそりと、人のいないお風呂場で、自分のプライベート・ゾーンを眺めてみてください。
そうして自分のからだと真摯に向き合ってみてください。見えないところは、鏡を使って見ることができます。生まれてから長い時間をかけて成長してきた自分のからだを、もっと大事にしようと思いませんか?
「幸福になりたい」という心の芽生えは、自分と向き合い、自分を守ろうと思うことといっしょ。向き合うことでしか始められません。しごく簡単な理屈です。
そこに目覚めたあなたにとって、このウェブサイトは、もう何の役にも立ちません。どうか自分のちからで、自分自身の性と向き合ってください。自分の心とも向き合ってみてください。そしてあなたが、あなた自身の方法で、新しい本当の性の話を、発信していってください。私はそれを期待しています。
ここまで読んでいただいて、本当にどうもありがとうございました。またいつかどこかで性についてお話ししましょう。