の話。
寝た子を起こせ。これは一生に関わる大事なことなんだから。

子ども達の「エロい」という感覚

2019年1月10日

乳幼児からの性教育を積極的に推進

 赤ちゃんはどこから生まれてくるの? 幼い子ども達の性に関する質問に、親や先生はギクッとしてしまう? でも、本当に、どう答えればいいのだろうか。「乳幼児の性教育」についての新聞記事を読んだ――。
 
 昨年、12月18日付の朝日新聞朝刊に掲載されていた記事「どうする? 幼い子への性教育 研究者や教員 学び合うサークル設立」を読んだ。一般社団法人 “人間と性”教育研究協議会では、「乳幼児の性と性教育サークル」ができたという。サークルのホームページの情報から補完して紹介すると、これは、昨年11月10日と11日、東京・小平市の白梅学園大学・短期大学と白梅学園高校にて催された「第1回 乳幼児の性と性教育サークル 全国セミナー」を伝える記事である。また後半では、東京の私立和光幼稚園で夏に催された「5歳児のこころとからだの学習」における学習内容にも触れ、いわゆる乳幼児期からの性教育をどのように始めるべきか、乳幼児と保護者に対しての性教育の必要性を問う記事であった。
 
 幼い子に性をどう教えればよいか――。子ども達がもし、赤ちゃんはどこから生まれてくるの? と訊いてきたら?――。
 「乳幼児の性と性教育サークル」のセミナーで講演した安達倭雅子さんはこう答えている。「うそやごまかしをしがちだが、それは子どもを傷つけ、トラウマになる場合もある」。また、性の情報を「教えすぎ」るのを気にするのは、「性に対するアレルギーだ」とも述べている。安達さんは同サークルの副代表で、副実行委員長を務めている(サークルの代表は北山ひと美さんで全国セミナーの実行委員長を務めている)。
 
 記事の内容は、小平市でのセミナーの1日目、講座Ⅰ「乳幼児の性教育入門」で安達さんが語ったものと思われる。子ども達の性器に対する認識とその呼び名についても触れられていた。安達さんが子ども達に性器の名称をたずねると、「エロい」とか「スケベ」とか言われる。日本では、乳幼児に対しての充分な性教育が行き届いていない背景もあって、性器は「エロい」もの、と子ども達は認識してしまっている。安達さんは、「今の日本で育つと、5歳くらいで性器を『エロいもの』と思ってしまう。体の中に忌まわしさを形成しながら、自己肯定感を高めるのは無理」と述べる。
 命を大切にするためには、まず自分の体を詳しく知らなければならない。自分が持っている性器を否定的にとらえるのではなく、大切なものとして肯定し、体は誰でも変化していくものなのだというとらえ方が必要のように思われる。

小学校時代の裸や性器に対する意識

 ここからは新聞記事の内容から外れて、私自身の子ども時代の体験から、性器や裸が「エロい」という感覚をどこで意識し始めたかについて、考えてみることにする。また、子ども達が言う「エロい」の意味とは何か? こうした考察が果たして的を射ているかどうか分からないが、とりあえず自分の体験を振り返ってみたい――。
 
 私の子ども時代というと、小学1年生になったのは随分昔、昭和54年(1979年)の春で、小学校を卒業したのは昭和60年(1985年)である。この頃の小学校の性教育はまだ手探り状態で、小学5年生頃に初めて、学校の図書室に性を教える教材本が並び、ちょうどその頃、児童に対して性に関するアンケートが実施された。女の子の「月経」、男の子の「精通」に関することが先生達から語られ、ホームルームのごくわずかな時間を割いて、性の授業がおこなわれた。
 小学校に上がる前、私は、自分の体やペニス(その頃はチンコと呼んでいた)が「恥ずかしいもの」であるという感覚が、なかった。幼児の頃は家の中であろうと屋外であろうと、人前で裸になったとしても、恥ずかしいとか、チンコを隠すしぐさはいっさいしなかった。これは一般的な幼児の男の子の、ごくありふれた感覚ではないだろうか。
 
 小学1年生から2年生くらいまでは、例えば身体検査のために教室で衣服を脱ぎ、パンツ1枚になっても恥ずかしいという感覚は、なかった。男子も女子も、同じ教室で脱衣し、上半身裸になることに違和感はなかったし、男子が女子の裸を見てからかう子は、ほとんどいなかった、と思われる。この頃はまだ年齢的に、性差に対する意識や関心が薄かったのだ。
 身体検査だけではなく、水泳の授業の際に男子が教室内でパンツを脱いで全裸になることも、女子が着替える同じ教室で、平然とおこなわれていた。一つの教室で男子と女子の“共同更衣室”と化していることには、何の躊躇も違和感もなかったのである。ただしこれは、あくまで男子の側の見識である。女子の見識も同じであったかどうかは、今となっては定かではない。が、少なくとも、この時点で、男女の裸や性器が「エロい」もの、という感覚は、幼い子ども達の中には、なかったと思われる。
 
 ところが、小学3年生くらいになると、徐々に女子の方が、自己と他者との関係という社会的秩序を重んじるようになってきて、学校という社会の中のルールや節度に敏感になってくる。例を挙げると、例えば女子は、遅刻してきた男子に対してちょっと厳しく言ったり、給食前に手を洗っていなかった男子に対して露骨に叱ったりするようになる。
 性に関する例を挙げれば、例えば、先生のいない教室での“自習”の最中、ある男子がふざけてパンツからチンコを出し、面白半分にぶらぶらさせたりしていると、女子が怒って猛烈に抗議する。男子と女子で喧嘩になることもある。社会的秩序を乱す男子が馬鹿に思える女子の心模様とは裏腹に、男子は女子に対して、まるでそれが母親のようにうるさいなと感じられ、しばし意見が衝突することがある。
 小学2年生くらいの頃とは明らかに違う、大人びた態度で男子を注意する態度に、男子はしばしへこたれ、わざとおどけた態度を取ったりする。時には、女子を馬鹿にしたりもする。話を戻すと、性器(この場合はチンコ)を他人に見せてはいけないというタブーの概念は、社会的秩序をこの頃より重んじ始める女子の方が、早く意識する。ヘタをすると男子はタブーの概念がかなり遅いというかそれ自体疎く、中学生になってもまだ教室でチンコを出していたりする。むろんこれは私の体験上のことであり、性教育が行き届いていない場合の話である。

「エロい」という感覚はどこから?

 当時、小学校における身体検査や水泳の授業の脱衣及び着衣は、男子と女子が互いの裸を見合える状況となっていたが、小学4年生頃には、男女が分かれて別室で脱衣及び着衣をするようになったと記憶する。水泳の授業の際の脱衣及び着衣は、プール施設に設置されていた、男女別の更衣室を利用するようになった。
 この頃、男子は女子の性器のイメージ(想像)を勝手に増幅させ、「エロ」とか「エロい」と言う友達間の会話レベルでの表現が顕著になってきた。性に対する意識が高まってきたというよりは、女子の性器のイメージのみを、興味本位にとらえてきた兆しと言っていい。だから男子は、自分の性器=チンコを「エロい」ものだとは思っていないのだ。あくまで女子の裸や性器が、「エロい」のである。つまり、子ども達が発する「エロい」とは、女子の裸や性器が対象であって、おそらくは男子特有の表現だったのである。
 
 あの頃、小学校低学年の頃までは、女子は男子と同じ教室で着替えていたのに、小学4年になって初めて、女子の脱衣及び着衣の行為が、きわめてプライベートなものとして隔離され、男子の視界から遠ざけられた。この突然の出来事とも言える状況から男子は、女子の裸は見てはいけないもの、触れてはいけないもの=「エロい」という感覚に芽生えた、と私は考える。
 成人用のヌード雑誌をどこからかみつけてくると、それを「エロ本」発見! と称して群がり、強い興味を示すのもこの頃である。ただし何度も言うように、自分達の性器=チンコが「エロい」ものであるという感覚はない。例えば男子が他の男子のチンコを見て、「エロい」チンコ! とは決して言わない。あくまで対象は、女子だけなのであった。
 
 子ども達が、それぞれの成長過程で性に関心が及ぶようになる上で、いちばん問題となるのは、男女のからだの(発達の)ことや性器のことを何も知らないままでいるということだ。異性に対して強い関心を抱くようになる時期の前に、幼児のうちに性について正しい知識を持っていたら、もし仮に「エロい」と言って騒ぐ意味合いというのは、本質的に随分違ってくるだろう。
 
 私の小学校時代では、まさにその性の知識がほとんどなかった。教えられてこなかった。女子のからだのことも月経についても無知であり、また自分達男子の性器=チンコのしくみについても、ほとんど何も知らされてこなかったのである。そうした無知のまま、女子に「エロい」とはやし立てたことに関しては、相当な場面で相手を傷つけたかも知れないのである。だから遅れてはならない。乳幼児からの性教育は必要不可欠であろう。
 
 次回の稿で、その幼児に読んでもらいたい絵本を2つ紹介したい。むろん、親がまずそれを読んでみることが先決だ。

 〈了〉

2018年12月18日付朝日新聞朝刊「どうする? 幼い子への性教育」

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