の話。
寝た子を起こせ。これは一生に関わる大事なことなんだから。

気になる性器

2021年6月29日

 
 思春期の子ども達は、とかく他人の性器の形が気になるものである。幸運にもそういう時期に、もし信頼できる大人が、「ペニスやヴァギナっていうのは、人それぞれ形が違って当たり前なんだよ」と教えてくれたら、成長過程で多かれ少なかれ変化していく自分の性器が、ヘン? とか、異常なの? と悩んだりすることはないだろう。しかし現実はなかなかそううまくならなくて、「性器は人それぞれ形が違って当たり前」という大前提の知識がなく、若者達は自分の性器の形にこだわり続け、心理的に右往左往してしまうのだ。
 性器は、男性性器には「排尿、精子をつくる、勃起、腟への挿入、射精」の機能が備わる。付け加えて、感度の高い性感帯でもある。これらの機能がふつうに働くのであれば、また清潔にさえしていれば、形や色や大きさにこだわる必要はない女性性器には「排尿と排卵及び月経、性交の時にペニスを受け入れる腟の役割、そして受精による妊娠・出産」の機能が備わる。付け加えて、感度の高い性感帯でもある。これらの機能が働くのであれば、また清潔にさえしていれば、形や色や大きさにこだわる必要はない
 他人の性器が気になる――自分の性器にこだわる裏返しでもある――のは、そうした基本的な知識がどこか置き去りにされて、つい外面だけにとらわれてしまうからだろう。形や色や大きさにこだわるというのは、あくまでその人の美容(個人の美的感覚)の問題であって、先に述べた性器の機能とはなんの関係もないことに、気づくべきである。

男女の性器の俗説や偏見

 2021年6月16日付朝日新聞夕刊の連載「オトナの保健室」では、「性器の偏見 惑わないで」という見出しで、性器にまつわる偏見や都市伝説について触れられていた。その多くが、〈自分の性器の形は人と違うのではないか〉〈異常なのではないか〉という個人の不安心理につけ込んだ、「あなたの性器はもしかすると異常かも知れません」といったようなネット情報や雑誌広告の“不安を煽る”ビジネス戦略である。そうした言葉に誘導され、医学的には全く根拠のない、無用な美容整形治療や美容系商品を買って浪費してしまったりする事例が、後を絶たない。
 
 男性性器偏見の最たるものは、包茎である。これについては記事の中で、『日本の包茎 男の体の200年史』(筑摩書房)の著者である、東京経済大准教授の澁谷知美さんが、包茎(手で剥くことができる包茎)は多数派であり、病気ではないにもかかわらず、ずっとバカにされてきたとし、その理由について端的に述べている。
 澁谷氏によると、もともと戦前からあった「包茎は恥」という価値観が、80年代頃から「作られた恥ずかしさ」に変容したのだという。美容整形外科の包茎治療広告やタイアップ広告記事などが変容の理由だ(「包茎手術の広告〈2〉~雑誌『宝島』編」参照)。そうした記事によって、「仮性包茎は手術が必要」という印象を強く与え、さらには「包茎は女性から嫌われる」といった内容で、「包茎は恥ずかしい」ことを捏造してきたのである。中高年向けの雑誌でも、包茎は介護される時に「迷惑をかける」とか、「笑われる」といったの概念を植え付け、包茎は治療が必要であることを強調する。そうした広告というのは、不安を抱え、治療患者が増えることを目的とした、いわゆる不安商法のたぐいであったのだ。
 
 一方、女性性器のコンプレックスを増幅させるような偏見や俗説に対して警鐘を鳴らし、ウソの情報の流布が巷に少なくないことに注意を促すのは、産婦人科医の宋美玄(ソンミヒョン)さんである。記事の中で宋氏は、小陰唇の形が左右非対称で悩んだりする人がいるが、形はみんな違っていても問題ないことを指摘している。処女膜再生術(裂けた処女膜を縫う)は医学的には意味はなく、そもそも処女膜は腟を塞いでいるのではなく、入口のひだ状のものであって、処女膜が裂けているからといって、性交経験の有無とは直接関係がないことも述べ、セックスの経験が多ければ、腟が緩むというのもウソであり、セックスはむしろそれ自体が腟のケアになり、骨盤底筋を鍛えることになるという。オイルを使ったマッサージは、かえって腟内の自浄作用に悪影響を及ぼす可能性がある。 

2021年6月16日付朝日新聞夕刊「性器の偏見 惑わないで」

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恥ずかしさを捏造した罪悪

 医学的に根拠のない性器にまつわる偏見や都市伝説が一人歩きし、それが多数派となって、本来ならば病気でも異常でもない性器の形が、かえってバカにされてしまうという現象が起きている。
 それがすなわち、男性性器における包茎の問題である。長い年月を経て一部業界のビジネス戦略によって「包茎は恥ずかしい」ということが捏造され、「普段から剥けたペニスが正常である」かのように信じ込んでいる男性が圧倒的に多いことでも、この問題の底深さが分かる。
 
 手で包皮を剥くことができる、いわゆる仮性包茎は、ありのままの普通のペニスであり、清潔にしていれば何の問題もなく、この仮性包茎は医学的に疾病の包茎(真性包茎)ではない。あくまで便宜上、仮性包茎という言い方を日本ではしているが、この呼称も疾病の包茎(真性包茎)をよそおった捏造に近いものだったのである。厳密に言うと偽物の包茎なのだ。
 現に、仮性包茎の人は多数派であり、世界中の7割の男性が仮性包茎と言われている(宗教上の割礼は除く)。にもかかわらず、日本では、「ほとんどの男性が普段から剥けている」と信じている人が圧倒的に多い。まさにこれこそ、長い年月を経て一部業界のビジネス戦略によって捏造されてきた「包茎は恥ずかしい」の証左であり、美容整形のたぐいが疾病治療とごちゃ混ぜにされてきた証なのである。

性教育で性器の偏見をなくす努力を

 これまで日本人の日常生活の中で、例えば銭湯で同僚が仮性包茎だったことがバレると、それをバカにするバカにされた方は恥ずかしくなる――という構図が、現実にあったかどうか、私の体験の中では経験がないのではっきりとは言えない。しかし、私がはっきりと見て知っているのは、中学生の時、クラスメイトのあいだで包茎を論じ、「普段から剥けている」者が自慢げになって賞賛された――光景である。「普段から剥けている」というのは誇張にすぎず、実際のところ亀頭全部が露出していたわけではないと思われる。単に剥きグセをつけて亀頭が見えやすくなっているにすぎない話なのだが、いずれにしても包茎ではない者は「既に大人である」と崇拝されたのである。
 
 全くの偏見の知識がいつの間にか正しい知識ということになってしまって、人伝に流布されていく。とくに学生の間ではありがちである。「包茎は恥」という偏見がなかなか無くならないのは、正しい知識としての性器の本来的な機能と、性器の外側の見た目の問題(美容の問題)とを混同してきた、いや意図的に混同させられてきてしまったからである。日本人の男性は、「童貞である」ことよりも、むしろ「包茎である」ことの方が恥ずかしさの度合いが大きく、むしろ語るのにタブーなのではないか――というようなことは、澁谷氏も著書の中で述べている(『日本の包茎 男の体の200年史』のあとがき)。私も同感である。
 
 ぜひ学校の性教育で、こうした性器にまつわる偏見や都市伝説の事例を取り上げつつ、相手をバカにするネタにしないこと、そもそも性器の機能と見た目は別問題であること、見た目に関しては、人それぞれ性器の形や色や大きさは違うということを教え、性器の偏見をなくすよう、また見た目で不安にならないよう、若者は正しい知識を学んでもらいたいと思う。

〈了〉