の話。
寝た子を起こせ。これは一生に関わる大事なことなんだから。

学校の校則は誰のためのもの?

2021年3月4日

 
 10代の若者達が学校関連で「悩ましい」と感じているものの一つが、校則――例えば学校指定の制服を着用する義務――だったりする。性別違和のある生徒が、自分に相応しくない制服を毎日着なければならないつらさがあることを、社会的にはまだ広く認知されていない。そうでなくても、規定の制服に、ちょっとしたおしゃれなアクセントを生徒自身が直接加えることは、校則の縛りで許されない場合が多い。だから若者達は苛立つのである。自由がなく、束縛されていると――。
 女優・宮沢りえさんが主演した菅原比呂志監督の映画『ぼくらの七日間戦争』(1988年、角川春樹事務所)は、中学校の高慢な体制と生徒達を厳格な校則で縛りつける教師らに抵抗し、生徒らが団結して廃工場に立てこもるレジスタンス(抵抗運動)を描いた痛快なストーリーである。この映画は、私の学生時代の忘れ難い想い出となっている。が、いまも学校という体制が若者達に立ちはだかる壁は、苦境と苦難とあきらめと屈辱に迫る高き壁越えられぬ壁となっているような気がして、いつの時代も変わらないということなのだろうか。果たして“学びの精神”とは、いったい何なのだろう。
 そうしたあるべき「学生らしさ」を盾に、ほとんど合理性のない細かすぎる校則で生徒らを強要する学校が多い中、千葉の行徳高校では、生徒らが上げた悲鳴に近い声によって、性別を問わずに制服を選べるようになった――。そんな新聞記事を見て、あらためて学校の校則のことについて、また制服とは何かについて、私は考えさせられたのである。

制服選択自由の学校が増えてきた?

 2021年2月17日付朝日新聞夕刊の記事で、“Think Gender”というジェンダーを考えるテーマのシリーズ欄に、「『スカートは嫌』 校則が変わった」「千葉・行徳高校 性別問わず制服選択自由に」という見出しと本文が掲載された。市川市にある県立行徳高校では、女子もスラックスタイプの制服を着ることができるようになり、男子もスカートタイプの制服を着ることができるようになったのである。
 
 発端は、ある女子生徒(18歳)がアンケートに書き込んだ性の悩みだった。生まれた性にずっと違和感をもっていて、スカートが嫌だったという。中学生の時は、制服を着るのは登下校のみで、あとはジャージで過ごせた。ところが高校では、体育以外では制服の着用が義務づけられ、毎日がつらくなり、学校に行きたくないと悩んだという。1年生の時のセクハラ・体罰に関するアンケートで、思い切って制服に関する自分の気持ちを訴えた。
 すると、学校が動いた――。池田浩二校長は、性的少数者の団体を招いて教員研修をし、2年生の2学期に制服を選択できる校則に変更したという。また、障害者用のトイレを、性別を問わない「誰でもトイレ」とし、着替えに使えるようにもした。アンケートで悩みを打ち明けたその女子生徒は、スラックスタイプの制服で登校できるようになった。同じ学校のある3年生の男子生徒も、スカートとリボンの着用を選択した。周囲にからかわれるようなことはなかったという。
 
 2015年に文科省が「自認する性別の制服の着用を認める」と通知で例示したことがきっかけとなって、性的少数者の児童や生徒が制服を選択できる学校が、広まってきているという。埼玉県吉川市の市立吉川中学校では、男女がスカートとスラックスを自由に選ぶことができる。東京都中野区では、2019年よりすべての区立中で女子がスカートとスラックスを選べるようになり、港区では2020年4月、本人の望む性に適した制服を選択できる「性別表現」の尊重を盛り込んだ条例を施行したという。

昔の中学校の校則

 ちなみに、私が30年以上前に卒業した、茨城県古河市の母校の市立中学校(古河二中)制服と身だしなみに関する校則はどんな事柄だったか――(画像参照)。
 
 私がその中学校を卒業したのは、1988年(昭和63年)の3月。たまたま家に残っていた学校配布の資料は、1992年(平成4年)2月3日付「校則改正についてのお知らせ」。校内の校則検討委員会によって改正された校則が細かく明記されたプリントで、保護者やPTA、学区内の自治会などに配布されたものである。私が卒業してからほぼ4年の開きがあるが、概ねその頃の中学校の校則を如実に記録したものとして、参考になるかと思われる。
 この「校則改正についてのお知らせ」のプリントは全4枚配布され、そのうちの一つに、「古河二中生としての身だしなみ」といった見出しで、男女の制服の規定と身だしなみの規則を記したイラスト入りプリントがあった。
 昔の中学校のプリントは、こんな陰気くさいものだったのかと、昨今の見栄えの良いデザインやレイアウトと比べると、かなり時代の隔世を感じてしまうものだ。それはともかくとして、中身を見ていこう。
 
 まず頭髪について。男子は「整髪料などは、原則として使用しない」とし、女子は「肩にかかる程度に伸びた場合はゴムで縛るか編む。リボンやかざりはつけない」となっている。また、男女とも「清潔で学習に適したものにする。(脱色・着色・パーマ禁止)」としている。これらを読むと、髪型でおしゃれをすることは一切許されなかったことが分かる(中学生のおしゃれ全般の是非についてはここでは割愛する)。
 ちなみに、私が在校中だった当時の男子生徒の髪型は、みな坊主刈り(七分刈り以下)が義務づけられていた。七分刈りだと髪の長さは約12mmとなる。髪を七分刈り以上に伸ばすことは校則で禁止され、許されなかったのだ。サッカー部員が試合に負けて、全員ゴリン(五厘刈り→約2mm)にされていた屈辱的な光景は、当時の強烈な想い出でもある。
 
 さて、その他の校則を見ていこう。名札は「学校指定のもの(四隅を縫いつける)」。制服に関しては、男子は「標準学生服」、女子は「標準セーラー服」。下着は、男女とも「白い下着(冬季は無彩色の範囲内とする。)」。靴下は、「白(ワンポイント可)、女子は冬季黒ストッキング着用可(ストッキング着用の場合は、黒の靴下)」。ベルトは、これは男子に限るが、「黒または茶色」。靴は、男女とも「白い運動靴」
 それから、ここには掲載できなかったが、別途資料「生活のきまり」のプリントには、さらに身だしなみ等に関する規定があり、カバンは、男女とも「学習用具の持運びに適したもの(あまり派手にならないように)」「生徒手帳は必ず持参」「体育着、上履き、体育館シューズは学校指定のもの」「セーターやトレーナー着用の場合は、あまり派手な色にしない」「冬季の女子のコートは、黒か紺」「マフラー着用の場合は、コートの中に入れる」「衣替えの前後1週間ずつを準備期間とする」となっていた。
 
 経験譚として、実際的に私が中学生だった時は、例えば男子の標準学生服の襟カラーは、白色のプラスチック製のものを付けていたのだけれど、これを外したノーカラーが反抗的でカッコいいとされ、一部の生徒がノーカラーで登校したりすると、すぐさま担任に叱られ、カラーを付けるよう指導されたものである。女子のセーラー服に関しては、スカートの丈の長さがたいへん神経質な問題となっていて、足の底から何センチかで、細かい規定があったようである。これら制服をともなう身だしなみ定期チェック日というのが学校行事として設けられていたと記憶する。 

2021年2月17日付朝日新聞夕刊「『スカートは嫌』校則が変わった」

母校中学校の制服と身だしなみに関する校則資料(平成4年)

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校則の功罪とは

 校則について、大人になってもつねづね振り返って思うことがある。
 校則の縛りというのは、個人の身だしなみや生活態度の汎用性を飛び越え、学校本意が行き過ぎて、むしろ〈我々生徒を信用せず、家畜として合理的に管理するため(時折罰を与えるため)の厳格な規律なのだ〉と生徒達に思い込まれる場合が少なくない。とくに、理不尽な事柄の校則に対する生徒の側からの不信感である。
 そうして生徒達から、若者教育への信用と親和を失った時、やがて、無自覚に無個性な人間になるか、あるいは、理不尽な校則に対して反動的な態度でそれを拒み、社会人としては個性とアイデンティティーを守る(勝ち取る)タフな人間になるか――のいずれかの道を辿ることになると考えられる。つまり、若者にとって、校則によって生じる様々な体験は、社会人になる上での功罪ある踏み絵となっていて、社会的な序列への反発心を掻き立てる根っこになってしまっているのである。

 自己に決定権がなく、ほとんど学校側に決定権があるとするならば、責任の所在はすべて学校側にある。子どもから大人へ成長していく過程で、自己決定権について学ぶ時期も術もないとなれば、無自覚に無責任な人間になっていくのは自明であろう。例えば、校則改正の議事云々に生徒達が参加できない生徒に参政権を与えていない学校が全国のどこかに、もしあるとすれば、それはたいへん民主主義ではない強権的な学校ということになる。これをファシズムという。
 一方では、保護者によって保護下にある時期の、未成年で無収入の学生が、個人の自由を盾に、おしゃれのためにえらく奔走しだしたりしたら、どれほど保護者の経済的負担になるだろう。だから制服の是非や身だしなみの規定を厳しく設けるのは必要だ――という保護者の側の論理もある。いずれにしても、校則というものは、学校と生徒と保護者によって公に議論し決めていくというプロセスが大事なことは、民主主義的な教育現場として当然の構図である。私の経験上あの時代、丸刈りを強要させられたのは、たいへん苦痛なものであった。卒業して間もなく、丸刈りの校則は廃止となったのは、皮肉といえば皮肉である。
 
 議論のプロセスに関して、これは余談になるけれども、今回紹介した平成4年度の古河二中の改正校則施行に際しては、純然たる事実として以下、こまかく列記しておくけれど、決められた手続きと段階を踏んで改正されていることを誤解のないよう、注釈がてら断っておきたい。
 前年の平成3年6月に学区別懇談会を開き、保護者の意見を吸い上げ、同年11月には校則改善についてのフォーラムが学級及び学年、学校と3回にわたって催され、職員へのアンケート調査もおこなっている。12月には職員会議を開き、さらにはPTA運営委員会で説明、意見を伺い、生徒代表及び卒業生代表との校則に関する懇談会を実施。年が明けて1月には校則検討委員会が開かれ、地区連協代表者との懇談会もおこない、再び職員会議、生徒代表との2回目の懇談会、そして2月3日に全校集会を開いて新校則を提示。学級にて指導をおこなったようである。

校則とは何か、学校とは何か

 今の時代は、とくに性的少数者の配慮が校則の中でどのようになされているかが焦点となっている。それに関しては、日本の場合、まだまだこれからである。男子は男らしく、女子は女らしく、などというような性別及び性差への偏見を肯定するような校則は、早急に見直すべきだ。何より、その校則を守ることで、何が(誰が)どう益するのか、理詰めの議論を重ねることで、おのずと校則とは何なのかが見えてくるだろう。
 教育の立場から学校と生徒を守るということは、地域社会を守ることにつながる。その観点で、現行の校則を今一度見直すプロセスが、今日の社会生活の必要性から迫られている。学校なんて刑務所と同じだ――と思われるような学校には行きたくない。
 10代の若者は決して受刑者なのではない。ただ、未熟なだけである。だから、愚直な教育が大事である。校則を、彼らを押さえつけるためだけの装置にしてはならない。大人は、信用と親和のおける教育の現場をとりもどし、真剣に再構築すべきである。

〈了〉