奈良林祥先生のセックス講義
セックスとオーガズム
愛あるセックスのための正しい知識を学ぼう
性とはなにか―性の基礎知識
4.性と愛
男の支配欲、女の服従欲
男の性と女の性が大きく違うことは、これまでの章で述べられたことから理解していただけたかと思う。このことは、日々の生理現象を伴う性生活において、とても重要であり、とりわけセックスにおいては肝心要である。
性欲の交流という意味で言えば、男の支配欲、女の服従欲というのが根深くある。性欲の働きなしに男女の愛情の発端はあり得ない。当人同士がいくら性欲など無い、プラトニック・ラヴだと言い張っても、性にめざめた年齢以降の男女がお互いに心惹かれる時、そこには必ず目に見えない性欲の流れがあると言っていい。
加えて、人と人との交わりには、人としての思想もあり、価値観もあり、道徳観や秩序もある。意地があったり誇りもあったりする。一人一人その心理的作用は違っていて、必ずしも男女が(たとえ性欲が伴っていたとしても)全て肉体の交わりに到達するというわけではない。根深い男の支配欲と女の服従欲が根底に横たわっているとしても、納得できない相手に服従したくないし、何を考えているか分からない相手を支配したい気持ちにはならない、という原理原則がある。
愛し合うとは、「許し合うことの極限」である。部分的に許し合うというのはなく、全面的な無条件の許容を愛という。全て許し合った相手との関係の中に、つまりお互いが満たされた愛の中に、支配欲と服従欲の関係があると考えていい。だから愛のない支配欲と服従欲の関係はあり得ないし、あってはならない。
お互いが愛(=許し合う最上の極限)に到るための、懸命に理解しようとする涙ぐましい努力こそを愛情という。したがって愛情のない、あるいはうわべだけの愛による肉体の交わりというのは、あり得ないと言うべきほどにまったく感心されない行為であることを知っておくべきだ。
性と愛は車の両輪
性欲に端を発して、愛情という努力と忍耐の日々を経て、愛に到るまでの過程、その愛を具体化し、二人の性欲を合法的に満たし合うための場を、結婚と呼ぶのではないだろうか。結婚とは、性欲を実用化し、愛によって性欲を高度化する合法的な場であると言える。
性だけでも二人は近づくことができる。性だけで結ばれることもできる。しかしそこに愛がなければ、愛に生きようとする二人の意欲がなければ、性行為は単なる排泄作用でしかない。とりわけ女性にとって、愛への強烈な願望の不十分な性生活は、空しさしか残らないものである。愛は性によって始まり、性は愛によって、心からの満足を人に与えてくれるという意味で、車の両輪のようなものだ。
ほとんどすべての人が、思春期から青年期にかけて、性へのめざめを体験する。そうして男の子は男性と呼ばれ、女の子は女性と呼ばれるようになる。それ以降、性ある者としての責任ある行動を、社会から要求される。
わが国日本では、一夫一婦制を基礎とした性の秩序というものが存在する。それがどんなに性欲という本能にとって煩わしいものであっても、その秩序をもって社会を構築している以上、その秩序の範囲において、性欲を満たしていくように自ら規制するのが、人として生まれた者の、やむを得ざる宿命というより仕方がない。性欲の赴くままに行動したいという人は、さしずめ人間を廃業するか、性道徳の革命が完成するのを待つか、いずれかである。