内密出産の課題山積

2022年2月10日

 
 産科の医師や助産師は、常に母体の健康維持に努め、安全に出産できる手筈を導いてくれる大事な支えとなる人々である。支えの者たちであるがゆえ、さまざまな状況の困難さとも立ち向かわなければならないのは、歴史的にみても、古今東西、いつの時代も変わらない。
 
 北沢杏子『実践レポート ひらかれた性教育5―18歳からの性と生―』(アーニ出版)の「出産の歴史をたどる」の中で、ハワード・W・ハッガード『古代医術と分娩考』(1931年武俠社刊、巴陵宣祐訳)が紹介され、北沢氏が述べるに、そのハッガード氏の著書の冒頭では、このような主張があるという。《女性の地位はその国の文化を計る尺度であり、それは出産がどのように扱われているかで測ることができる》
 これに鑑み、北沢氏は、このように述べている。《この本を読むかぎり古代から現代まで、「出産」が、産む本人の人権として尊重された時代は一度もなかったことに気づかされる》――。
 
 出産する者とそれを介助する者とによる、「出産」の現場に係る空間と時間とそこにいる者たちは、どうやら社会的に――それが一時的とは言え――抹殺されてしまうようである。いま日本で起きている「出産」の問題に、どれほどの人々が関心を持ち、問題解決に率先して楔を打ち込む勇気があるだろうか。

 去る2月4日、熊本市の慈恵病院蓮田健院長が、国内初の「内密出産」に踏み切る旨の記者会見をおこなった(この案件に関しては、当サイト「内密出産―子は女性が産むから生まれるのか」参照)。赤ちゃんの遺棄や殺人をなくしたいという主旨から、慈恵病院では、安全な出生と保護を最優先すべきとし、匿名による出産、そして「内密出産」を受け入れている。ただし、こうした事例の解決には、想像を絶する困難さがつきまとう。母親の身元を明かさない「内密出産」に関して、法的な課題は山積しており、病院側でも試行錯誤が続けられている。
 
 大方、現代の社会は、婚姻と「出産」の諸問題からできるだけ遠ざかっていようとする傾向がある。その一つの事例は、同性婚の是非の問題だ。当事者同士の問題として片付けるべきだとし、目を塞ぎ、耳を塞いで、語る者たちの顔を見ようとも声を聴こうともしない「出産」における事例としては、望まれない妊娠によってパートナーから暴力を受ける女性がやむなく、自ら「出産」して子を棄てる――といったことがある。
 とかく、“子を産む親”である女性が、「出産」という立場で困難に直面し、場合によっては、社会的に虐げられてしまうこの問題について考えるためにも、まずは冷静になって、「出産」の社会学的な観点で視野を広げてみる必要がある。先の北沢氏『ひらかれた性教育5』を文献資料として頼りに、西洋における「出産」の社会史について、ここで簡単に触れておきたい。

血盆の池におちる?

  そもそも男性の医師が、産科医として助産をするようになったのは、18世紀半ばからだという。したがって、現代の助産における形式化は、その頃より次第に確立されていったと言っていい。
 近世以前の日本では、どうであったろうか。
 その昔、日本では、女のお産「死のけがれとたがわぬもの」とされ、牛や馬、犬のそれと同列におかれていた。江戸時代になり、月経もこれに加えられ、お産や月経は「血でけがれる」といって忌避された。こうした「血のけがれ」は、お産時に血を流して地神をけがすと言われ、よごれた衣類を川で洗濯することから、その水で茶を煎じ諸聖を供養しなければならないとされ、そのような罪で女性は死後、「血盆の池におちる」と言われた。これらの話は、瀬川清子『女の民俗誌』(東書選書)と斎藤たま『生ともののけ』(新宿書房)に拠る。
 西洋では、18世紀半ば以降、助産婦の養成所・学校が開かれるようになった。知識や技術を身につけた専門家による「出産」が、一般に取り扱われるようになったのは、19世紀初頭からで、産科学の歴史はここから始まる。
 日本における西洋からの近代医学の波及は、おおむね、文明開化と称された明治以降のことではあるが、地方の実情はこの限りではない。「出産」に係わる古いしきたりや迷信は、昭和の時代までずいぶん残っていたようである。

ヒポクラテスの産科術

 ところで既に、古代ギリシャの時代には、産科学は確立していた。不運というべきか、歴史上、ヨーロッパの「宗教的戒律」「男性優位社会」の形成が長く続いたため、古代に培われた産科学の基礎は衰退してしまっていた――と、先述のハッガード氏の著書に記されているという。古代ギリシャでは、医師のヒポクラテスが、世界初の助産婦の養成を始めたとされる。助産婦の組合が組織され、緊急時に医師が駆けつけるシステムも整備されていたらしい。彼の医説は、『ヒポクラテス全集』に収められている。
 
 古代ギリシャ時代、助産婦は、出産の介助以外に、新生児の父親が子を養育する意思がない場合に、寺院の階段や街の裏通りに子を「遺棄する」仕事も負っていた。これは、助産婦において通常おこなわれていた仕事であって、罪にはならなかったという。仕事は他にも、「結婚の仲介」「性病の治療」「妊娠中絶」などがあり、婦人相談所的な役割を果たしていた。
 やがてこのような医術は、隣のローマにも伝わる。
 それまでローマでは、医学的に無知であり、迷信や呪術師や祈祷師を頼って出産がおこなわれていた状況であったため、優れた医術をもつギリシャの医師は、好意的に迎え入れられ、ローマ社会において開業医がぐんぐんと広まっていったという。
 
 そんな中、医師ソラヌスは、世間の冷たい眼(男医者が助産に係わっていると蔑まれた)にもめげず産科を開業妊産婦に対して正しい医学的知識による合理的な介助をおこない、助産婦の指導にも従事した。
 ソラヌスは、胎児の「位置回転術」(逆子を死亡させるかわりに位置をかえて引き出す)を開発し、「腹帯」「分娩椅子」の推奨をもおこない、産科術で大いに貢献した。彼による論文(婦人解剖学、月経、妊ちょう率、妊娠、新生児、無月経、月経困難、子宮出血症、腟鏡など)は、その後1500年にわたって助産婦のバイブルとなったという。
 ローマ帝国が滅んでキリスト教の宗教時代になると、その関心は、精神の救済へと向かう。再び、呪術師が台頭し、治癒は祈祷や奇蹟に委ねられていく外科手術の技術は衰退し、死刑執行人や理髪師(理髪外科医)、牧童などが帝王切開などの手術をしたという。むろん、この時代の妊産婦の死亡率は相当高かった。 

2022年2月5日付朝日新聞朝刊「内密出産 なお試行錯誤」

慈恵病院の内密出産の仕組み

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熊本市が母子支援で協力

 《女性の地位はその国の文化を計る尺度》という言葉は、現代の日本に警句として重くのしかかる。古い時代――解釈によっては、古代からほんの数十年前まで――の「出産」が、いかに過酷であったかということを想像する。いままさに、安全な「出産」がおこなえるようになったことは喜ばしく、いかに幸福な時代に生きているか、ということを感じないわけにはいかない(コロナ禍におけるパンデミックが医療現場を逼迫させるという、不安な時世を決して忘れてはならないが)。
 むろん、先進国以外の発展途上国では、いまだ「出産」は、さまざまな社会的要因と医療現場の劣悪さによって、肉体の苦痛以外の想像しがたい辛苦がともなう。まずそうした世界の現状=「女性がおかれている立場」の不安要因を踏まえた上で、日本における「内密出産」の現実を慮る必要があると思うのだ。
 
 2022年2月9日付朝日新聞デジタルでは、「母子支援で熊本市協力へ 現状踏まえ方針転換」という見出しの記事が配信された。これまで熊本市は、慈恵病院のおこなう「内密出産」法に触れる可能性があるため協力に消極的であったが、子どもの権利擁護の観点から方針転換し、「内密出産」をせざるを得ない女性の現状を踏まえ、孤立出産をふせぐための情報共有や話し合いの場を持つことで合意したという。今後、熊本市は、「内密出産」に係る必要な法整備について国や国会議員に働きかけていく方針だ。

普遍的な「親と子の断絶」の問題 

 法整備に当たっては、子どもの人権(=人格権)を守る前提的な考え方が必要だ。
 親から子どもが産まれる――という生物学的に当たり前の話とは言え、その産んだ親が確定的ではない場合においても、同等の人格権を擁護しなければならない法の在り方が、とても大事になってくる。
 慈恵病院で初の「内密出産」となる事例は、母親である女性が病院に対し、「特別養子縁組の意向は変わらない」と説明した時点で、父母が出生届を提出する可能性がないことを確認。かわって病院が出生届を出すことになる、病院規定の仕組みに沿って進められている点で、手抜かりはないと思われる。
 問題は、院長が名前を空欄のまま出生届を出した場合の、刑法上の公正証書原本不実記載罪に当たるかどうかである。これについて慈恵病院は、法務局に照会しているという。しかし、そもそも病院側の懸念は、赤ちゃんの遺棄や殺人を阻止したいという思いから「内密出産」を受け入れる仕組みづくりを試行錯誤してきたのであって、元々の問題は、子の親である父母の実質的な育児放棄にあるのだ。
 
 子の親の両人に、それぞれの「想像しがたい事情」の自律的な解決策がない、もしくは拒否、放棄している点で、この問題は根深い。「内密出産」に係る規定の法整備とその運用云々の議論については、立法府及び行政が責任を持って積極的に寄与すべきであるが、一方で、古代ギリシャからの歴史をみても、「出産」する者とそれを介助する者とのあいだに横たわる、避けがたい人間由来の本質的な災難は、「親と子の断絶」からくる不幸な出来事が起因している点で、いつの時代も全く変わらないのである。

〈了〉