男子校のジェンダー教育
――僕がいま切実なのは、いい大学に入ることです。進学に有利な中学校を選んだら、それは中高一貫の男子校でした――。
こうした“男子校”と言われる中学校や高校に入学する男子の、進学以外の切実な悩みとは、つまり、「女子の友達」がなかなかつくれないこと。もっとぶっちゃけて言えば、思春期の女子の生態を間近に体感できない、共感できないことからくる、卒業後の過度な不安。――自分は女性と付き合っていくことができるだろうか――。女子の存在感が、自分にとって「億劫」で「苦手」だという意識になることだ。
ただ、外部の進学塾やクラブ活動などで女子との交流や接点をもつことで、そうした苦手意識は克服できる。できるだけ外部のコミュニティに参加し、異性に苦手意識をもつのを防いでいこう。
それを踏まえた上での、ジェンダー教育――。SDGs(持続可能な開発目標)は、2030年までに17の目標を達成するよう国連サミットで採択された国際目標となっているが、そのうちの一つに、「ジェンダー平等を実現しよう」(目標5)がある。ジェンダー平等について学び、そうしたことが当たり前(=常識)となるような社会を構築していかなければならない。
そのジェンダーについて。男らしさ、女らしさの植え付けや強要はもってのほかだが、家事と育児は女性の役割、とか、男は外で働き、女性は内助の功が良い――とか、まあ古い。日本の昭和時代の悪しき伝統、狭い料簡の古臭い封建的な思考に、いまだ洗脳され続けている男子がいるのではないだろうか――と思うことが、しばしばある。
古いしきたりの中でも、文化的で良いものもいっぱいある。しかし、ことジェンダーにおける男女の関係性の、「封建的な思考」(feudalism)だけは捨てて欲しい。学生にしろ社会人にしろ、きっちりとジェンダー平等について学び、何がかつて問題であったかをあらいざらい総括すべきなのだ。
男子校のジェンダー教育
2022年3月7日付朝日新聞朝刊に、「ジェンダー教育 男子校では」という記事が掲載された(記者は藤野隆晃)。大見出しは「役割分業・思い込み 相手の立場で考える」、小見出しは「共生社会『教師も意識を』」。
東京・世田谷区の駒場東邦は、東大進学者を50人以上出している中高一貫の男子校であり、学校生活で異性と接する機会が多くないという。女性について理解を深めるべく、昭和女子大の学生とオンライン授業をおこなっている。こうした取り組みを通じて、異なる立場の視点を学び、ジェンダー平等を生徒に伝えていくということが目的だ。
中高一貫で男子部と女子部に分かれて学校生活を送っている、東京・東久留米市の自由学園では、2月中旬、外部の講師を招いて、ジェンダーに関する授業をおこなった。
「男なら泣くな」と言われた生徒の事例から、男性であること、女性であることから生じる利益と不利益について考え、らしさを強要する固定観念を議論。小さな集団の中では、ジェンダーに関する思い込みを相対化することが難しいと、担当教諭は感じていたという。
きっかけは、ゲイであることをカミングアウトした生徒で、少数者への配慮(差別をなくす教育)をするだけではなく、相互理解のために自分の足元を掘り下げていくことが大事と述べる。
教師も意識を
自分もかつて中高を男子校で過ごした経験がある――という元一橋大講師で性教育に詳しい村瀬幸浩氏は、男子校では女子と接する機会が少なく、「男らしさ」が求められる機会も多いという。しかしながらその一方で、共学校においては、生徒会などの役割分担で、生徒会長は男子、副会長や会計は女子、と慣習で無意識に男女の役割が分けられていることもあると指摘。男女を区別することが差別につながりうる、という意識が、教師の側に求められている、としている。教育する側が共生社会という方向性を持たねば、生徒たちは社会や時代に取り残されていく、とも述べている。
クリックすると拡大します。
学校の枠組みこそ再点検を
男女別学という観点で、男子校がジェンダー教育に取り組んでいるトピックをここでは紹介しているが、女子校におけるジェンダー教育も同じく大切であることは言うまでもない。
ただ、細かい部分において、女子校におけるジェンダー教育は、フェミニズムの度合いが強いので、男子校にいる男子生徒の「男らしさ」を求められる、やるせない時代錯誤や自己嫌悪というのは、いまだ男女同権とは言い難い、男尊女卑の封建的な日本の社会の中で、多少語られる文脈が違うことだけは、踏まえておかなければならないと思われる。
おおむね、ジェンダー教育は男女別学の学校こそ取り組まなければならない急務の課題であることは、まさにその通りである。
男尊女卑の誤った通念は、社会の在り方を根本から見誤らせる。
先の駒場東邦の中高一貫校を例に挙げると、東大進学はどちらかというと男子の専権事項だから、当然学校の基本理念は男子校という枠組みで――という旧来の思考の古びたジェンダー的感覚のまま、学校という枠組みが旧態依然に陥っていないだろうか。そうした部分では、望ましいはずの「新しい時代のジェンダー教育」との大きな矛盾点を抱えてしまっている。
応急措置的にその封建的な枠の中で、「新しい時代のジェンダー教育」をしていく試みは評価すべきである。むろん、百点満点どころではないが、及第点そこそこといった感じには――と注釈を加えておく。
ジェンダー教育で必要な観点とは何か? ユネスコの『国際セクシュアリティ教育ガイダンス』より抜粋し、「ジェンダーの理解」の画像にまとめておいたので、それをぜひ参考にしていただきたいと思う。