健康と人権とジェンダー平等
子ども達に性について教える「性教育」は、早い話、「性行為(セックス)」について教えることでしょ?――という大人の中の中途半端な理解が、日本ではまだまかり通っていて、だから「性教育」はしたくない、めんどい――といってそれをタブー視してしまっているように私は感じられる。生殖のことや「性行為(セックス)」について教えるのだから、「避妊」や「人工妊娠中絶」についても(子ども達が)しっかり学んでほしい――というのが、大人たちの「性教育」に対する多くの期待感である。
しかし、「性教育」の必要性は、それに限ったものではない。ヒトの、現代社会生活に欠かせない3つのキーワードを掲げたい。「性教育」すなわち「包括的セクシュアリティ教育」は、大まかにいって、①健康 ②人権 ③ジェンダー平等について教えることであり、これら3つが社会生活の中で疎外されることなく担保されることによって、人の幸福(ウェルビーイング)は恒久的なものとなるだろうと目標を掲げている。
性教育は人権教育
2022年4月27日付朝日新聞夕刊の紙面に、「性教育は人権教育 命守る」の記事が掲載された(「Think Gender 私のカラダ 私の選択3」/記者は塩入彩)。
記事は、東京の足立区立中学で保健体育教諭として「性教育」の授業をおこなってきた、樋上典子さんのこんな発言から始まっている。《『性交渉の後、膣を炭酸水で洗えば避妊できるですか?』って。中学生じゃなく、大学生の質問ですよ》。
首都圏の大学でも性について講義をする樋上さんは、こんなことも話している。《性を正しく学ぶ機会がないまま、ネットのゆがんだ情報をうのみにしている子が本当に多いです》。中学校の学習指導要領では、妊娠の経過は取り扱わず、多くの学校では、「性行為(セックス)」について教えることを避けてきた。しかし、「性教育」は「性行為(セックス)」のことだけではない――と樋上さんは語る。《自分の体を知ることは自分を守り、他の人の命も大切にすることにつながる。性教育は、人権教育なんです》。
逆説的にいえば、日本の公教育における「性教育」では、人権教育やジェンダー教育についてあまり重視してこなかったのではないか。とくにジェンダー教育すなわちジェンダー平等は、それのみを謳い、いまだに実現できていない面が多い。古い言葉だが、「立身出世」する男を支えるのが女の役目であり、「浮気」は男の甲斐性だ――という旧時代の社会的風潮が、いまだに蔓延ってはいないだろうか。それをあらためるためにも、「性教育」は“生殖教育”に固執してはならないし、そうした誤解を解かなければならない。
教育ガイダンスの8つのキーコンセプト
ユネスコ(国連教育科学文化機構)が「包括的セクシュアリティ教育」(CSE)で必要なトピックを、大まかに分けて8つのキーコンセプトとして提示している(画像参照)。
一つ例にとって、ガイダンスにある内容をこまかく見ていこう。
たとえば、「1.人間関係」のキーコンセプトは、さらに4つのトピックに分けられ、①家族 ②友情、愛情、恋愛関係 ③寛容、包摂、尊重 ④長期の関係性と親になるということ――となっている。「①家族」については、世界にはさまざまな家族の形があることを題目とし、まず、ふたり親の家族もあれば、ひとり親の家族もあり、世帯主が子どもの家族や、世帯主が後見人の家族もある――といったように、家族の形のありようを学習者に学ばせる。
そして、これらのようなさまざまな家族の形が世の中に存在することを、その多様なありようを理解し、自らの家族の形も含めて、異形もなく正形もなく、それぞれの家族の形を尊重することを学習させる。ふたり親の家族の子が、ひとり親の家族の子を馬鹿にしたり、否定したりすることがないよう、正しい家族の形などこの世に存在しないことを理解させるのが、ねらいである。
ちなみに、この「①家族」の学習目標は、5歳から8歳が対象となっている。むろん、あくまでセクシュアリティ教育のガイダンスであるから、これらは学習内容の指針に過ぎない。教育現場では、さらに具体的な、踏み込んだ教材を独自で用意することが必要であろう。その場合、学校主導の「包括的セクシュアリティ教育」における学習計画が、たいへん重要になってくるのである。
幼児期・幼少期の子どもに向けて奨めたい「おうち性教育」においても、これら8つのキーコンセプトは欠かすことができない。願わくば、「おうち性教育」では絵本などを使って、物語を読み聞かせるとよい。8つのキーコンセプトが含まれる物語の絵本は、最適なセクシュアリティ教育となろう。
生殖教育だけではない性教育
先述の新聞記事の括りでは、日本の性教育の後進的な現状を憂いでいる。
2000年代に性教育が強いバッシングにさらされ――とあるのは、2003年、東京都立の養護学校の性教育バッシングのことを指している。その後、学校現場では性教育が萎縮して不十分となり、2018年、樋上さんの授業も一部都議に批判されたのだという。都教委は19年に「性教育の手引」を改訂(「都教委『性教育の手引』改訂へ」参照)し、中学校でも、保護者の了解を得れば、「性交」や「避妊」、「人工妊娠中絶」などを、指導要領の範囲を超えて指導できるということになった。
思春期の子どもへの「性教育」で、どうしても関心が傾斜しがちなのは、先のガイダンスを例にとると、「6.人間のからだと発達」と「8.性と生殖に関する健康」である。日本では、ここが後進的なのだ。
後進的であるがゆえに、強調して急進派がここに楔を打ち込もうするのだけれど、そればかりがフォーカスされてしまう。何度も言うように、「性教育」は、生殖に係わらず、包括的な「性的自立」を目的としなければならない。
幼児期・幼少期、思春期の子ども、あるいは高校生、さらに成人になった社会人に対しても、性について教育・指導するということは、やはり3つのキーワード、①健康 ②人権 ③ジェンダー平等が肝なのだ。自己や他者が健康で安全に生活できるということは、何より幸福(ウェルビーイング)につながる。人権(性と生殖に関する健康に影響を与える人権)を守り、それを尊重することも幸福(ウェルビーイング)につながる。ジェンダー平等を実現していくことも、やはりヒトの幸福(ウェルビーイング)につながる。
これらを理解することが、「性的自立」ということになり、その他の学問の研究やさまざまな経済活動をおこなううえで、その人の原資となり、基礎教養となりうるというのが、私の考える人間社会の教育理想である。
健康と人権とジェンダー平等――。人間=ホモサピエンスは機械じかけのロボットではなく、コンピューターでもない。哺乳類に属する動物であり、地球上に住む生物の一種に過ぎない。生物学的にヒト(男と女)について学び、人間が社会生活の中でどのような理知でもって幸福を求めていくのか。いや、もっと端的に、愛と幸福について、子どもも大人も理解すべきなのである。まかり間違っても、性教育でさえも丸暗記の詰め込み教育であってはならないのだ。