の話。
寝た子を起こせ。これは一生に関わる大事なことなんだから。

学校で「性の多様性」を学ぶということ

2020年7月30日

 
 日本の公教育で扱われる教科書に、「性の多様性」に関する記述が少しずつ盛り込まれようとしている。いわゆるLGBT(Lesbian,Gay,Bisexual,Trancegender)性的少数者(性的マイノリティ)に関する正しい知識の学習とその偏見をなくすセクシュアリティ教育である。それもまだ充分とは言えず、たいへん頼りない前進ではあるのだが、評価はしたい。
 ひるがえって、文科省の新学習指導要領では、いまだ「異性への関心」にのみこだわり続け、性的少数者を括ってはくれていない。これ自体が差別ではないのか。LGBTに関するセクシュアリティ教育はあくまで指導要領外ということになり、指導する行政側の、時代に沿わない古い概念の固執が、現場をやきもきさせているのも事実だ。現代の国際社会との齟齬が生じることがないよう、子ども達には「性の多様性」のあるべき姿と未来への理想的な矛先を素直に導くべきであり、彼らもまた自己の生存にかかわる課題点として、率先してこの裾野の広い性の在り方について学ぶ必要がある。

「性の多様性」が盛り込まれつつある教科書の実態

 1年前、当サイトの記事「特定の人を好きになる―それが異性であっても同性であっても」の中で、茨城県の「パートナーシップ宣誓制度」の導入の話とともに、小学校の体育(保健)の教科書に、性的少数者(性的マイノリティ)に関する記述が盛り込まれたことについて書いた。その時点で扱った教科書はとても少なく、光文書院文教社のみである。内容もまだ大きく踏み込んだものではなく稚拙で、個人的にはたいへんもどかしさを覚えた。
 2020年7月26日付朝日新聞朝刊の記事「性の多様性 差別解消へ学ぶ」では、2021年度の教科書において、「性の多様性」に関する記述を含んだ教科書が、現行の教科書よりも増える旨を紹介し、家族や民族の多様性についても教科書の中に触れられているものがあることが記されていた。記事の内容を以下、要約してみた。
 
 検定で合格した教科書106点のうち17点に「性の多様性」に関する記述がある。保健体育、国語、社会、美術、技術・家庭、道徳など、多岐にわたる教科に。
 社会科の歴史及び公民では、13点のうち半数の6点で、現代社会を学ぶ単元で「性の多様性」に関する記述がある。ある国語科の教科書には、一昨年同性パートナーとの結婚を公表したロバート・キャンベルさんの随筆「『ここにいる』を言う意味」が掲載され、性的少数者(性的マイノリティ)のカミングアウトについて触れられている。
 美術科のある教科書では、ウェディング・ドレスをまとった2人の女性を描いたポスターが掲載された。家庭科のある教科書では、制服のスカートやズボン、リボンとネクタイのどちらを選ぶのか、性別にかかわらず生徒が選んでいい中学校があることが紹介されている。
 保健体育科では、「性の多様性」に触れた教科書があったものの、本文中では「思春期になると異性への関心が芽生える」といった従来と変わらない記述にとどまり、同性愛トランスジェンダー(身体的性と社会的性の違和がある人)といった性的少数者(性的マイノリティ)の性的関心にまで踏み込まれていないのは、新学習指導要領が依然として「異性への関心」に限定されているからだとし、「性の多様性」に関する記述のある教科書が増えてきている一方で、教える側の教員の養成期間中に「性の多様性」に関することを必須科目として学ぶ必要があることにも言及している。
 
 何より、文科省の新学習指導要領が、現代社会の実態としての「性の多様性」に踏み込まれていないことが、教育関係者のあいだで懸念される不足の現状と言えよう。
 

家族と民族の多様性にも触れた教科書

 さらに新聞記事を要約すると、ある社会科公民の教科書では、「夫婦別姓」の問題に関する最高裁判決の、賛否を問う新聞社説をディベート資料として盛り込んだという。お母さんが家に二人いたり、お父さんが家に二人いる家族があることを触れた家庭科の教科書や、血縁に基づかない家族一夫多妻制の国があることを紹介した道徳の教科書もあったという。
 「男女差別」の問題に関しては、7点の社会科の教科書で取り上げられている。そのほか、仕事と家庭の両立性子どもの権利について、またアイヌ民族については多くの教科で取り上げられ、ある道徳の教科書では、アイヌ民族「自然崇拝」に関して触れたものもあったという。新聞記事の内容に関してはここまで――。
 
 オーストラリアのセクシュアリティ教育を見ていこう。橋本紀子・池谷壽夫・田代美江子編著『教科書にみる 世界の性教育』(かもがわ出版)によると、オーストラリアでは、連邦憲法に定められた教育は州政府の専属的権限とされているようで、むろん、日本の公教育のカリキュラムとは大幅に異なる。
《オーストラリアは他民族、多文化国家であり、学校にもさまざまなバックグランドをもつ生徒が集まっていることから、文化、生活習慣、宗教などを互いに尊重しあうことや他者と協同する態度や能力が不可欠であるとされ、学校教育においてこれらの能力を育成することが必要とされている》

(橋本紀子・池谷壽夫・田代美江子編著『教科書にみる 世界の性教育』より引用)

 

2020年7月26日付朝日新聞朝刊「性の多様性 差別解消へ学ぶ」

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 オーストラリアのセクシュアリティ教育

 オーストラリアのセクシュアリティ教育は、日本とは比べものにならないほど行き届いており、構成する教員の養成にはたいへん力を注いでいるようだ。
 
 西オーストラリア州の指導書や教科書を例にとると、生物学の観点で人体の構造や機能、人間の多様性や成長などについて、こまやかな項目が用意されており、成長期の二次性徴に関する記述及び教育内容が充実していることは言うまでもなく、高校生用の教科書においては、生殖妊娠避妊性感染症などについて、ほとんど専門的な知識と思えるほど詳しい学習がなされる。
 個人的に興味を持ったのは、西オーストラリア州には家族計画協会(Sexual Health Quarters)という非営利団体があり、アボリジニの人々や地域の人達に向けてセクシュアリティリプロダクティブ・ヘルス(性や子どもを産むことに関して身体的・精神的に健康な状態であること)の活動を長年続け、様々な教育プログラムを提供していることだ。
 例えば「性の多様性」に関しては、“RELATE”という教育プログラムがあり、お互いを尊重する関係の教育を目指している内容に準じていると思われる。ただ、“RELATE”はむしろ、ジェンダーであるとかアイデンティティの観点で恋愛関係やそれ以外の関係におけるコミュニケーションについて学習するものであって、「性の多様性」はもっと基本中の基本の範疇にあるので、殊更それを理解するためのものではなさそうだ。
 

「性の多様性」をお互いが理解すること

 オーストラリアのセクシュアリティ教育を例にとり、このことからも、今ようやく「性の多様性」とその差別をなくすことを子ども達に学ばせる取り組みを始めようとしている日本の公教育が、いかに遅れたものであるかが分かるだろう。
 国際的な指針となっている包括的なセクシュアリティ教育=ユネスコの「国際セクシュアリティ教育ガイダンス」(International Technical Guidance on Sexuality Education)においては、ほとんど幼少のうちに、性別及び「性の多様性」について、つまり自分と他人の身体的性性差について学ばせることが望ましいとされている。性は多様であり、性愛も多様である。そして多様な家族があり、多様な民族が地球上の世界に散らばっている。それが人類の繁栄と共存の歴史でもある。このことを正しい知識で子どものうちにしっかりと教えるべきだ。雌雄には優劣がないこと、多様な性にも優劣はなく同等であること。家族もしかり、民族もしかり。そうしたことを想像させる知恵をもつ必要がある。
 
 知恵の最も有効な手段には、本を読むという選択肢がある。子ども達にとって身近な本を手に取って読むことは、未知なる新しい世界を知るきっかけとなる。したがって、大人たちが子ども達の手の届きやすいところに本を置く=学びの種をまく努力が必要である。すなわちそれは、大人も例外なしに学ぶべきだということ。現代社会における「性の多様性」をテーマに、新たな気分で、本を開いてみるべきなのだ。

〈了〉